徳川家康が上総国東金(千葉県)へ鷹狩へ行く途次にここ今井の渡しを騎馬で押し渡ったのは天正19年(1591)のことだったという。
 家康が秀吉より命じられて江戸に入府した翌年のことである。鷹狩は殿様の遊びとされているが、戦国の世が終わりきれないそのころは家康にとっては単なる遊びではなく、それは一種の軍事演習であった。多くの家臣を密偵として放ち、領民を徴発し、敵対する勢力を威圧する為のものであった。
 私は今、ここの場所に立って、対岸を眺めながら家康を先頭に威風堂々と押し渡ってくる騎馬集団を想像している。今井の渡しがあった場所である。

(要約)



 今井橋の上下流の水深が今のように深くなってしまったのはそれほど昔のことではない。普段は水量もそれほど多くなくて、昭和20年代になっても飲み水に江戸川の水を使っていたのである。それほどの清流であったから、シラスウナギなどは何億匹とも数えられない大群で押し寄せたし、今井橋の下で、巨大な四つ手綱を使ってシラウオなどを捕っていた。

(要約)