HERA100
(本気でヘラと勝負する)
釣り掘り(管理釣り場)」でヘラを底釣りで1日100枚釣ってみたいと思い立って実行したヘボヘラ釣り師のエッセイです。
2011年4月15日刊行の
『HERA100〜本気でヘラと勝負する〜』に収録されもの以後に書いたものを載せています。
釣果については「釣果データ」の項目をご覧下さい。日誌は「シニアの突撃ヘラ釣り」です。
2017年2月7日にエッセイを追加で書き始めました。空白がありましたのでその前に書いた内容と重複したり
記述が異なっていたりすることがあります。それは私のヘラ釣りに変化があったと考えて下さい。
時とともに釣りは変わるものですし認識の変化もあるからです。

2017年8月13日(日)
その129. 避暑
2017.8.13
 避暑したくなるのは人間だれしも同じだと思いました。
 つい二、三年前まで釣りをしていて避暑しようなどとは思っても見ませんでした。
 私を引っ張り込んだ先輩ヘラ釣り人が、釣り師といえるほどののめり込み方ではなかったので釣り人と書いたのですが、それでも、知人を誘って房州の農村地帯の溜池とか、あっちの池、こっちの川とかにヘラを釣りに行っていたことは確かです。
 その方がどういうわけか冬眠だけはしていたのです。つまり、秋9月になりますとお彼岸を境に冬眠と言ってヘラ釣りを休釣してしまいます。
 しかし、春になると三月のお彼岸過ぎに復活して、夏の暑い時でも休まずに日陰を捜してヘラ釣りをしていました。
 まあ、私をヘラ釣りに誘った張本人ですから、声がかかれば「運転手」として私が参加したわけです。
 その方が冬眠を始めたきっかけはどうやら血圧だったようです。冬はアブナイと家族が言ったのだそうです。それに冬場は思っているほどの釣果も出ないこともあって行かなくなったらしいのです。
 その方が最近、真夏になると避暑とおっしゃって釣りに行かないのです。年の事を言えば90歳に近づいた高齢者ですので無理はないと思うのですが、しばらくして、家族に免許証を取り上げられて、とうとう免許を警察に返上したと風の便りで知りました。
 こうなりますと、どうしても釣りに同行する、同行を誘う、ということをためらうわけです。釣り場でもしものことがあると申し訳がないということからです。
 そんなこんなで、これまでは私自身も避暑などということは毛頭考えずに釣りに没頭していたわけです。
 それがここ2年ばかり、ハゼ釣りにしてもヘラ釣りにしても制限時間いっぱいまで目いっぱいの釣りをするということがなくなりました。面白いもので、知らず知らずのうちに体力温存ということをしていたように思えます。
 一日の最高釣果を目指すとか年間の累計釣果を伸ばす、というようなことから、目標釣果を出したらすぐに納竿するという釣りに変化してきたように振り返りますと思えます。
これはとても重要なことで、家族や船宿が、鈴木さんもうアガリ??早いですね、などと言うわけです。まあねー、予定は釣ったしねー、ということでいましたが、これが最初の変化でした。
 今年はもう極端で、体力のきつい釣りはしない、ということに変ってきました。体力温存ということです。
 これには訳があって、私のライフワークですが「執筆」という作業をしているわけです。なかなかに体力と時間のいる作業です。
 執筆が何歳まで可能かということはプロの作家の創作活動をみていると分かります。私の年齢はその年齢リミットを越えようとしています。そのためにいろいろな時間を削って執筆に向けるわけですが、神社の氏子総代職を辞職したのもその一つです。
 知人によっては釣りを止めればよかったでしょ、という意見もありますが、私にとっての釣りはプロの作家の「散歩」と同様のものであって、必要欠くべからざるものでもあるわけです。
 つまり、頭を休め、あるいは、ヒントが浮かぶ、大切な時間なのです。ボーッとして釣りの事以外考えずにヘラと勝負している時間が散歩にあたるわけです。
 こんな理屈を付けたにしても、釣りそのものは子どもの頃からの唯一といっていいくらいの趣味でしたから、釣りを止める気持ちなどは初めからないわけです。
 それが、去年あたりからはヘラ釣りに行っても目標数を釣ると正午でも1時でも2時でもさっさと上ってしまうようになった訳です。
 このことは執筆に時間をあてるということ以外に無意識のうちに体力温存、次回の釣り、ということの対処をしているためと思ったのです。つまり、出来得る限り釣りの回数を維持したいということです。
 私の釣りは、避暑と宣言して夏場を釣らず、冬眠と称して冬場を釣らず、ということではなくて、例え早上がりしたとしても、その時間内に全力を尽くす、目標にアタックする、というようになったのだと思います。
 家族に免許証を取り上げられるという年齢にはまだ少し時間がありそうですので、健康第一で釣りを楽しみたいと思っています。
 釣り場で年齢の自慢ができるまでにはまだまだ年数がかかりそうです。
2017年7月9日(日)
その128. ターゲット
2017.7.9
 いつも思うのですが、釣りをする場合にターゲットを定めることが大切だと思うのです。
 それによって、エサの付け方やアワセるタイミング、エサの状態の管理の仕方が違ってくると思うのです。
 最近のヘラ釣りで特に思うのは、2017年は私のホームグランドにしている白井市の水光園さんではザリガニの繁殖が著しいことです。
 過去にもこのような現象はあって、たしか2010年か2009年だと思いますが一日にザリガニを45尾余り釣った記憶があります。2011年の大震災の前だったと思います。
 大震災の時は釣りをしていた人たちは桟橋の上まで池の水が津波になって押し寄せて釣道具を流されてしまったと聞きました。私はその日はたまたま釣りに行かず、しかも、自宅にいましたのでテレビとパソコンの台を押さえながら家族に向って叫んでいたことを思い出します。
 信じがたいことですが、ザリガニは山の斜面の竹藪の落ち葉の下に穴を掘って巣を作っているようです。そのザリガニが夜中にぞろぞろと池の中に入って来るというのです。これは目撃者の言葉ですので信用してもいいと思っています。
 実際に山の斜面と池の間には排水用の水路がありますが、その水路の中に孵化したばかりの小さなザリガニがブチュブチュと動いているのを私は見ています。そんなわけで経営者としては水路の中の消毒も必要なわけです。
 そんなわけで今年の水光園さんの池はヘラを釣っていてどうしてもザリガニの相手をすることになるわけです。
 ザリガニとの対決を「嫌なものだ」と忌避して「そんなことやってられない」ということで、@釣りに来なくなってしまう人A宙釣りに変更する人B底釣りにこだわる人(底しかできないので私などもそのクチ)の三つのパターンがあるようです。
 私などはどちらかといいますとあちらこちらの釣堀を渡り歩くタイプではありませんので、どうしてもザリガニとの勝負をすることになるわけです。
 実際に釣っていて、ザリガニを釣り上げた尾数とヘラの枚数は比例するようです。少なくとも私の場合はそうです。ザリガニを20尾釣るとヘラは70枚以上とか、ザリガニが3尾程度で終わってしまうとヘラも30枚程度とか、という具合です。
 私の場合のデータから言えることは、ザリガニが釣れないということは@ザリガニが少なくなったAザリガニがとても機嫌が悪い、のどちらかです。@の場合は現時点では考えにくいので、ということは宿でも捕獲籠を多数投入してザリガニの捕獲に精を出していますが、現時点では捕獲籠に入るザリガニの数が激減したという状況ではないわけです。
 ですから、ザリガニが釣れてくる数がいつもと比べて本日は少ないのかな、と感ずる時はAのザリガニの機嫌がとても悪い状態だと思えばよいわけです。
 面白いもので、ザリガニの機嫌が悪いときは、ザリガニらしきウキの動きをしているのにザリガニがハリに掛ってこないのです。これはとても面白いものです。ザリガニの動きがとても鈍いわけです。
 ザリガニの動きが鈍いときはヘラの動きもとても鈍いのです。これは宿としてもザリガニその他のジャミ対策、ヘラの病気などの対策として消毒を定期的にしていると思うのですが、この消毒ということはすべての釣堀では絶対的にする必要のある作業で、私が経営者であっても必ずやると思うのです。
 ですからそのような作業のあった後は、ある一定の時間はザリガニ、ヘラを含めて池の中の生き物のご機嫌は斜めなんだと思うのです。したがって、ザリガニが釣れないような日とか時間帯はヘラも食い渋りだと言えるわけです。これはあくまでも私自身の体験とデータからそのようなことを書けるわけです。
 では、それを承知のうえで底釣りでヘラを釣るわけですが、ターゲットはどうしたらよいかということです。
 私の水光園さんでの釣りは、2017年はザリガニ勝負でターゲットを絞っているわけです。
 ウキの下にいるザリガニを徹底的に釣ってしまう、という作戦です。ザリガニのアタリが少なくなりますと途端にヘラの入れ食いになるわけです。しばらくしてまたまたザリガ二が釣れますとヘラのアタリが遠くなるのです。その繰り返し。
 私は両ダンゴの釣りですが、このところのブレンドはダンゴの冬100cc+綿グル20cc+水110〜100cc(水温が高いときは水を減らす)+バラケマッハ100ccです。これを当面使うだけ小分けして拳骨で押してそのままつけています。ウキの戻りがは浅かったりナジミが浅いときは10回ほど練ります。水分補給はしません。
 ザリガニのアタリは大体がウキをズズッズズッと水面下へ静かに持っていくものです。ときにはその前にチョンチョンとした動きでこれはハサミなどでエサやハリスに触っていると思うのですがそのような動きもあります。
 いずれにしてもヘラのアタリとは違うウキの動きのときは@ザリガニAクチボソB小ベラということで、私は空振りをしたアタリはザリガニではなくてAとBのものと決めているのです。ザリガニの場合はかなりの確率で釣ってしまっていると自分流に考えています。
 ザリガニを釣るためのエサとしては、私の経験としてはボソボソの硬い物とか、よく〆てあるものとかは掛りにくいようです。そこで先ほどのブレンドになるわけです。ねっちりもっちりしていて、柔らかすぎず、固からず、締まっていないエサということで使っています。
 エサのブレンドは釣り人によって好みがあって違うと思いますので、今使っているエサで最大限最高何尾のザリガニを釣ることができるか挑戦してみるといいと思います。すくなくともザリガニを釣ってしまえばヘラのアタリは復活しますので釣果も伸びるわけです。
 今年のザリガニは3月初旬に1尾釣りましたので、アレッ、と思っていたわけです。危惧していたことが現実となって水温上昇と共にザリガニの猛攻が始まったわけです。
 とはいっても宿でも捕獲する努力をしていますので、必ずザリガニの絶対数は少なくなってヘラのアタリは戻りますので、これは過去の経緯が証明していますので、暫くの間は「ザリガニ釣り名人」という称号をいただけるかどうかわかりませんがザリガニと遊んでみようかと思っています。
 ザリガニの釣果は1、2、2、2、10、11、15、17、6、13、21、19の合計119尾です。今年は柏市の逆井へら鮒センターさんにお邪魔していることがありますので、その分だけ水光園さんの釣りが少ないわけで、例年のペースであればザリガニの総数はもっと釣っているかと思っています。
 近年では今年のザリガニ釣果がピークの一つと思っています。例年ですとひと夏でせいぜい合計5尾行くか行かないかのザリガニ数です。ザリガニがまったく釣れない年だってあるのです。ザリガニの繁殖も当たり年があるようです。
 他の釣堀ではどのようになっているのか情報としては知りません。
2017年6月11日(日)
その127. カルガモと鵜
2017.6.11
 釣りをしていると、カルガモと鵜は馴染みの鳥たちです。
 先日、ヘラ釣りに行って、池の水面へ鴨が二羽下り立ちました。
 釣り人は何のかんのと言いながら、誰もカルガモを追い立てようとはしませんでした。とても微笑ましい光景でした。
 鴨という鳥は可愛らしくて微笑ましい鳥ですが、それでいて結構貪欲で小魚などを追い回して食べます。東京湾では海に生えている藻などを食べたりもしますし、海苔養殖の漁民にとっては天敵の鳥になる事もあります。
 しばらく前になりますが鵜がヘラの池に下り立ってきたことがありました。鵜はヘラを丸ごとのみこんでしまいますので経営者にとってはまさに天敵です。
 観察していますと、鵜が来る池はある程度の面積の大きい池が多いようです。
 それには訳があって、鵜が水面から飛び立つときに「助走」するのですが、ある程度の距離がありませんと飛び立てないわけです。
 鵜が飛び立つときの様子を見ていると、バタバタと羽ばたいてから水面の上を「歩く」わけです。羽ばたいていますから脚は沈みません。しかし、完全に脚を水面から離してしまいますと滑空するには浮力が足りなくて水面へ着水してしまうわけです。ですから、ある程度のスピードがでるまで必死になって羽ばたいて水面を脚で蹴りつけて「走る」わけです。
 鵜が脚をお腹の下へ格納するのは水面から50〜70cm上に離れた時が多いようです。鴨と違って鵜は体が大きく重いわけですから、それに、飛び立つときは腹いっぱい魚をのみこんでいますので、鵜が判断を間違えて小さな池に下りて腹いっぱいになるまでヘラをのみこみますと、飛び立つことができないわけです。
 鵜もそのへんのことはどのように学習しているのか知りませんが、一度や二度は失敗して、池から飛び立てなかったということだってあったに違いないのです。
 このことは、江戸川放水路で長年ハゼ釣りをしていて鵜の様子を観察していますのでよく分かるわけです。
 鵜に比べると鴨は小型で丸々とちんまりとしていますが、それでも飛び立つときは水面上をある程度の距離を「歩き」ます。水面を蹴ると言った方が適切でしょうか。そんなわけで、ヘラの釣堀に鴨が下りますと、それだけでヘラが警戒してウキの動きが違ってくるということもあります。
 ハゼの場合は鵜が水面へ降りますと警戒するだけでなく物陰などに隠れたりして脅えてしまうということがよく言われています。ましてや、鵜は鴨と違って水中へ長時間潜りますし、ハゼなどの魚を追い回しますので、釣り人にとっても迷惑な鳥でもあります。
 鴨は人間も食べますが鵜を調理して出す店はないでしょう。まして鵜は保護鳥になっていてその振舞いは鼻持ちなりません。捕獲したり食べたりなどは御法度です。ですからせいぜい追い払うだけです。
 釣堀やボート店の経営者にとって鵜はまさに天敵で、困った存在ですが共存するよりほかは手がないようです。
 しかしながら、渓流では鮎などの渓流魚がいなくなってしまうほど食べつくしてしまったり、木を枯らしてしまったり、糞害だったりとよい事はあまりないようです。
 私のすんでいる行徳では、昔は行徳水郷と言われたほどの素晴らしい農村地帯でしたが、宮内庁の新浜鴨場があって付近一帯は海上陸上共に禁猟とされ、鴨その他の鳥獣一切の猟が禁止されていた時代が明治大正昭和を通じて長くありました。
 つまり、農民や漁民は「泣き寝入り」を余儀なくされていたわけです。私自身もそのような農民の末裔の一人だったわけですが、空一面を真黒にして飛んでいる鳥を眺めたわけです。
 そのような鳥のことを行徳の人たちは「おとりさま」と呼んでいました。
 現代ではおとりさまの数も昔よりはずっと少なくなりましたが、鵜の食害などは今現在でも江戸川放水路や行徳地先の海ではあるようです。
 鵜も食事をするための狩りをする場所が狭くなってしまいました。鵜は行徳の野鳥の楽園といわれている内陸の干潟から、朝の7時過ぎになりますと一斉に500〜1000羽とも思われる大群が「出勤」していきます。これは時間がだいたい決まっています。
 20〜30羽で一つの群れで矢印形になって飛んでいきます。夕方は午後4時過ぎになると朝と同様な隊形で一斉に帰ってきます。
 その鵜の編隊が湾岸道路のすぐ頭上を飛んでいくわけです。ハゼ釣りをしている釣り人にとって、鵜の群れが江戸川放水路方面へ向ってこないことを願うばかりです。鵜が来ると鵜が水中へ潜っていた付近のハゼは全滅です。まさにボウズになってしまったというほどです。
 ハゼが釣れない原因が@鵜の食害Aアオシオで死んだBハゼがいない、の三つです。ウデは関係がないのです。釣りの対象魚がそこにいれば、釣りさえしていれば必ず釣れてしまいます。ウデが関係するのは50しか釣らなかったか500釣ったかという場合だけです。
 その点でヘラの釣堀の場合は対象魚がいない、ということは「絶対に」ないわけであって、エサを与えて飼っているわけですので、その点についての心配はないわけです。
 ですから釣れない原因というのは@ヘラの機嫌がすこぶる悪いAウデが悪い、の二つです。Aの場合は10枚で終わるか、50枚釣ったか、ということですが、@の場合はこれはどうしようもありません。
 ということで私の最近のヘラ釣りは、ヘラのご機嫌がすこぶる悪くて、ご機嫌斜め、と判断しますと、適当な時間に釣りを切り上げて帰宅するということになっています。このようなことは3年ほど前までは考えられなかった私の行動であって、昔は、そんなに機嫌が悪いのなら、なにがなんでも釣ってしまう、ということでやっていました。
 最近は、76歳になったということもあって、@体力を温存するA余らせた時間を他の事で有効活用するB別の、ヘラの機嫌が直った頃に釣りに来る、というような具合にしています。
 幸いに今は執筆している原稿が「佳境に入っている」ということもあって、釣りに来たけど魚の機嫌が悪い、というときは、もっと別にやることがある、ということで自分を納得させて早々に退散するわけです。
 かといって、釣りを全くしませんと、これは私の生活習慣が一変してしまいますので、「健康上からも」それは絶対に避けたいわけです。
 魚の機嫌が極端に悪くて早々に退散したときの釣行記はアップしない、というのが最近の私のやり方になっています。
2017年5月26日(金)
その126. 双眼鏡
2017.5.26
 私がヘラ釣りで双眼鏡を使うようになったのはそんなに古い事ではありません。ヘラ釣りそのものも本気になって釣り始めてから今年でやっと12年目になったばかりです。
 ですから、最初のうちは普通の老眼用のメガネをかけて釣りをしていました。チラチラして見えにくいときはメガネの上に偏光グラスをセットして釣っていました。
 3年前になって釣具店で勧められたことと、釣り場で双眼鏡を使っている人の様子を見て買う気になったのでした。今の双眼鏡は二台目のものです。というのは何かトラブルがあったときに一台ではどうしようもありませんので、もう一台買って保険を掛けたわけです。贅沢といえばそうですが、やはり、釣りをするうえでどうしても代替品が欲しかったわけです。
 代替品といえば釣ザオもそうです。私は10尺ザオしか今は使っていませんが、1本では不安なので予備を1本買いました。そして予備の予備を買い、予備の予備の予備を買いました。大型と引っ張りっこして強引に取り込む硬いサオ、通常に大型を釣るサオ、真冬に使うやや軟調のサオ、小型・中型中心で釣る柔らかいサオと4本になりました。これらを釣り場や季節によって、あるいは、今日は大型で100枚が釣れるかもしれないなどと言う気持ちのときは硬いサオという具合に使い分けています。
 それと、あるサオだけを使いすぎますとどうしても「腰が抜ける」ということになりますので、入れ替わりで使うわけです。これは釣果が一日で20枚とか、年間で500枚とかであればこんなことはしなくてもいいわけです。1〜2本あれば十分だし、あるサオだけを使い続けても問題ありません。
 私の場合は年間4,000枚目標で、多い年は7,000枚近くを釣るわけですから、ある1本のサオだけを使い続けますと腰が抜けるわけです。実際に腰が抜けてお蔵入りにしたサオもありました。
 余談が長くなりましたが、双眼鏡を使い始めたら手放せなくなりました。よく見えること見えること、これはもっと早く使うべきだったと反省しました。
 じつは私と双眼鏡の出会いはもっと古くて、ヘラ釣りを本格的に始める前に、常陸利根川や江戸川などで宙釣りでレンギョという淡水魚を、底釣りでボラとか鯉などを釣ったわけです。サオは6.3mとかを使いました。ウキはヘラ釣り用に比べたらとても大きいです。しかし、私は感度の事を気にしてトップはパイプですが細くて長いものを取り付けてもらいました。ボディも長いです。しかし、釣り場でウキは10m以上も先に立っているのですから双眼鏡を使いました。ウキが大きいし、これはとても大きく見えてチクッのアタリも全部とれました。風波があってもウキが翻弄されにくいのでアタリはしっかりと取れました。エサはバラケにダンゴでクワセはα21を使いました。よく釣れました。
 釣り仲間は双眼鏡など使わないでメガネもなしで釣りをしていました。よく笑われたものです。しかし、100cm〜120cmのレンギョを半日で10本も釣れば大量です。そんな釣りを7年ほどはやったでしょうか。レンギョは江戸川にもたくさんいますので、行徳橋の潮留水門のすぐ上手でもよくやりました。ここは流れが少なくて深いので近くにウキが立ちますのでトップもそれなりに太いので双眼鏡なしで釣りました。
 ヘラ釣りは先輩の80歳の長老に誘われて始めたのですが、始めのうちはおつきあいでした。しかし、本格的に釣ってみようかと思ったときにどうしてもウキの感度の問題から釣具店の棚においてある出来合いのウキをひょっとつかんで買って来るということはどうしても我慢ができなくなりました。
 ボディの太さよりもトップの細さの方が問題だったのです。アタリの感度はトップが細いほど分かりやすいものです。ですから、釣具店に無理を言って注文で、トップが出来るだけ細いもの、ということで作ってもらったわけです。
 まあ、いいかえれば、自分のウデの未熟を棚に上げて、ウキの動きをコントロールするためにトップにこだわるということは、年季の入った方から見ると、なにやってんの、ということでしょうが、私にとっては大問題だったわけです。
 ここで念のために申し上げておきますが、私のウキの選定は10尺ザオという条件でしているということです。これが15尺とか13尺ということであればトップの太さも違ってくると思います。ただ、感度が少しずつ鈍くはなるでしょう。
 私のウキを見ていてアタリが見えないとおっしゃる方もときにはおられます。しかたないです。ウキが細くて小さいしムクトップですから。
 双眼鏡といえばこんなことがありました。ハゼのボート釣りをしていた時、上ってきたら店主が、双眼鏡でお客さんに見せたんですよ、と言うのです。私がハゼを釣っている様子を見せたというのです。えー、そうなんだー、知らなかったー、と言いました。
 お客さんが、スズキさんと勝負をしたいから、と言ったのだそうです。念のために申し上げておきますが、何の釣りでも「釣り人」と勝負するという釣りは私の性分でないのでしないのですが、そのような釣り人もいらっしゃったわけです。それがいけないなどと私は言うつもりはありません。その方の自信の程と、チャレンジ精神に拍手したいほどです。
 ただ、双眼鏡でご覧になった結果は、といいますと、その方は私と並んで勝負することをあきらめたわけです。その日は一日にハゼを1,000尾超釣った日でしたので、私としてもいいペースで夢中になって釣っていたわけです。店主が、スズキさんの側に行ったでしょ、と言ったのですが、私はそんなことは全然気が付きませんでした。ただ、ひたすら釣っていたというわけです。
 これがヘラ釣りですと「バランスの底釣り」で一日に100枚超を釣るということが、ハゼを一日に1,000尾釣るということに、おおよそ、匹敵するのかなあ、という思いです。宙釣りの人場合は私の100枚の倍以上は釣ってほしいと思っています。それでトントンです。宙は底の倍を釣って当然、というのが常識らしいと聞きました。
 もちろんハゼは池で飼われているわけではありませんので、ハゼの魚影を求めて釣場を放浪するわけです。ですから「釣りのテクニック」以前の問題として「その日そのときのハゼの着き場をどのようにして決定するか」という根本問題があるわけです。魚影の薄いポイントではどれほど上手な方であっても1,000尾は釣れません。本日の潮で、潮時で、水温と気温と風向きと波の具合と、などといろいろな条件を考えて、朝一番はあそこで、昼頃にはあちらで、午後はあっちで、と作戦を立てるわけです。
 その点、釣堀のヘラ釣りはヘラそのものを捜す必要はないわけです。ヘラは回遊魚ですので、基本的には池の中にいて外へは出ませんから、魚影については保障されているわけです。ですから、釣り人のウデということが大きく比重を占めます。そこがハゼ釣りと決定的に違うところです。
 私がウキの感度にこだわる理由がその辺にあるわけです。それと視力ということではその衰えを実感している昨今ですので、双眼鏡に頼る気持ちをお察し願いたいものです。
 なお、ハゼ釣りはトップスリーとビリについては宿の検量が必ずあって尾数を店主が数えます(釣り宿によっては釣果が自己申告のところがあります)。ヘラは、少なくとも私の場合は自己申告、ですので釣果についての信用の度合いはハゼよりはずっと低いものと思っていますが、それは仕方がありません。
 ただ、ハゼは1,000尾釣ってもスレ掛かりというものがほとんどありません。ちゃんと口に入っています。ヘラはスレということがありますので、可哀そうなことをしてしまったと思うことが時々あります。
2017年5月17日(水)
その125. 三本バリ?一本バリ?
2017.5.17
 伝統というものは革新されて蘇ります。伝統の内容はいつも同じとは限りません。
 ある時、釣り会の幹事さんが、ものすごく嫌な顔をされて愚痴をこぼしたことがありました。
 例会に参加したAさんが三本バリでヘラを釣っているというのです。それを聞いて私は即座に心の中で、ヤッタネ、と思いました。ところが大方の周囲の反応は否定的なものでした。
邪道だとか、それほどまでにして釣りたいのかとか、検量するなとか、いろいろとありました。ただ、例会ではハリは二本まで、と決まっていたという事情があったのかもしれません。それをAさんは無視して三本バリで釣っていたとか、ということは考えられますが、その辺の事情は聞きそびれてしまいました。
 現在でもその方がヘラ釣りをしているかどうか、釣り会に所属しているかどうか、消息は途絶えて知りません。
 そもそも二本バリでヘラを釣らなければいけないというルールをだれがいつ決めたのでしょうか。考えられることは例会などで仕掛けをあるものに統一する必要があったことから基準を作ったのでしょう。それが普及して年月が経って、当たり前のものとして定着して、結果として、釣り人の自由な発想と実行を妨げているのではないのでしょうか。
ヘラ釣りはこうあらねばならないとか、こうしなければヘラ釣りではないとか、というような先入観とでもいいましょうか、そのようなものがあるように見受けます。
釣りそのものは個人が趣味でするものですから、猟師の場合は資源保護などの制約があって、漁協などの規定が自主的に定められていますが、ヘラ釣りの場合などは自由に釣りをすればよいと私などは思うのです。
私の場合はそのような「事件」めいたことがあってから随分と経ちますが、三本バリでのヘラ釣りに挑戦したことがありません。というのは、二本バリの釣りの底釣りで100枚超の釣りをすることができていますので、何と言いましょうか、三本バリの釣りをする機会を逃したとでも言いましょうか、こんにちまでやっていないわけです。
私がヤッタネと心で喝采を送ったのは、Aさんの進取の気持ちとでもいいましょうか、決まりきった一つの形を脱して未知の領域にアタックしたということに対してでした。結果がいいか悪いかはやってみなければわかりません。
なんでもそうですが、予測を立て、あるいは仮説を立て、準備と考察をし、実行する、これを実証する作業というと思うのですが、この仮説と実証の過程によって新規の事業や方法が世に出るのではないでしょうか。
私は三本バリの釣りはしていないと申し上げましたが、それでは一本バリのヘラ釣りはどうでしょうか、それは、やっています。「一本バリのような釣り方」と言った方が正確です。ハリは二本付けているからです。
現実問題としてどうするかといいますと、上バリ一本だけにエサをつけて、下バリはエサを付けないで釣りをするということです。これを私は一本バリの釣りと自分流に言っています。
どんな時にそれをするかというと、@気分転換にやる、これはけっこう多いですAヘラが寄りすぎて上ズリの心配がある時にやる(これはエサ打ちの量を減らしたいときなどにもします)などです。
一本バリの時のアワセは私の場合は、「食いアタリと思える最初のアタリ」で必ずアワセるということをしています。エサが二個付いている時は、例えば食いアタリかどうか迷ったり、あるいは見逃してしまったりしても、心の中で、マアいいか、エサはふたっつ付いてるから、などとなんとなく自分を納得させて、二回目三回目の食いアタリを待つでしょう。
ところが一本バリのときは二度目三度目の食いアタリがないものですから、エサは一個しかないのですから、それはもう真剣にウキを見つめて、最初の食いアタリで必殺のアワセをするわけです。
先日、宙釣りの人が隣りで釣りをしました。観察していますとこれは完全に一本バリの釣りでした。聞いてみました。やはりそうで、そのようだとエサ作りから違ってくるでしょう。
これまでの上バリにバラケ、下バリにクワセというパターンがとれないわけですから、エサづくりから一から考え直さなければなりません。その方は私から言わせると進取の気性に富んだ方だと思うのです。なお、釣果は素晴らしいものだったと拝見いたしました。
その方に比べたら私の一本バリの釣りなどは、だいたいが比較にならないほどの凡人のすることです。ちょっとした修正程度の釣りです。いい釣りを見せていただいたと思っています。
形は違いますが、私のエサ付けは一種の一本バリの釣りともいえます。それは刊行した本にも書きましたが、上バリと下バリに「同じクワセエサ」を付けるからです。バラケエサを使いません。考えようによってはこれは一本バリと同じことでしょう。バラケがないからです。
本来の二本バリは使っているバラケエサのバラケが早いのでウキのモドリが比較的に早くて、バラケがなくなってからが勝負という釣り方になるのでしょう。
私のエサ付けではウキのモドリの早い遅いはエサの大きさとか粘り加減とか水分の量の多少とかで調節しています。
二本ともクワセエサですからヘラを寄せたいときは小エサでテンポよく打てばバラケエサを打っているのと同じです。私の釣りを見ていて手返しが早いときは寄せエサ打ちをしていると思えばよいのです。
私の二本バリの釣りは、エサ付けによって一本バリと同様の効果を出す場合と、二本のバリのうち一本だけにしかエサを付けないで投入する場合と、二通りの釣りをしているということです。
今のところそこそこの釣果を記録していますので、一つの変形の釣りとしては私なりの釣りをしているものと思っています。
2017年5月9日(火)
その124. 郷に入れば郷に従う
2017.5.9
私などは単純な方です。環境にすぐに慣れるからです。その方が楽です。
 私のホームグラウンドは白井市の水光園さんですが、つまり、ここでヘラ釣りをトレーニングしたと言えます。このところ柏市の逆井鮒釣りセンターさんの池を釣ってみたいと思って釣っています。それには個人的なワケがあって、私が白井市の釣堀に行かないで、よそ見をしたり浮気をしたりしているわけではない皆さんに言わない「ワケ」があるわけです。
 白井の釣り場の場合は釣りになった時は「めったやたらと」よく釣れます。アタリも素直だし明確な食いアタリが連発します。100枚超ということもよくあります。ところが釣れない時は半日で1枚とか、ともかくそんなことが年に何回かはあります。
 その点、逆井さんの場合はちょっと違います。100枚超という大釣りは平常のときは今のところないのですが、半日やって1枚とかいう目も当てられない日というのが、私の釣行した範囲内ではないわけです。ということは、大釣りがないけれどもぜんぜん釣れないということでもない、ということで、釣果としては20枚〜70枚の範囲で収まっているのです。これは池の管理としてはヘラの状態をとてもよくコントロールしている、と思えるわけです。私自身が釣堀の経営者だったら、ということで池の管理のことを推測するとそのような結論になるわけです。
このところ月曜日主体で通っていますが、私の記録では月曜日の釣果が渋いです。きっとそれだけのワケがあるのでしょう。それでもなんとか50枚は釣りたいと思っています。それだけのヘラがいると思っていますし、目標に達しないのは「エサ合わせ」に失敗しているからだと実感しています。
 実際にエサ合わせに成功しますととてもよいペースで釣れる時間帯があります。その日の早い時間帯にエサ合わせに成功したいものです。
 逆井さんでの釣りは基本としては白井の釣堀の釣りを適用したいと思って釣っています。しかし、ヘラの状態が白井市とは違っていますので単純にはあてはめることができません。その点での意識の変更が必要なのです。
 昨年の暮れから釣行回数を徐々に増やしてデータを集めていますが、やはり、逆井さんでの常連さんの釣り方は逆井さんの池に合った釣り方をしているように見受けます。それはやはり平日などで検量するイベントがありますので、それにターゲットを絞った釣り方に特化しているように感じます。それがいけないと言っているのでは決してありません。
 それはそれで皆さんが楽しみにしている釣りですので、それでいいと私は思っています。問題は私がそれに同化して同じような釣りになるかどうかです。
 私の心情としてはどうしても逆井さんの池で100枚超を釣ってみたい、釣らせていただきたい、いつかはやってみたい、というのが今の目標です。ですから、イベントで上位に入るかどうかというのは、どちらかといいますと、二の次といいましょうか、主たる目的ではないとでも言いましょうか、自分の目標の釣果を釣って行く過程でひょっとしたら上位に食い込めるかも、という結果が出ればうれしい、というような釣りです。
 ですから、大きくても小さくてもレギラーサイズでも、ということで、食いアタリがしっかりと出せて、それをアワセることさえできれば、その日の釣りはそれで完結しているということになります。自己満足なわけです。
 私のヘラ釣りは食いアタリを明確に出せれば、それでおよその目的は達しているのです。しかし、そうはいっても私の釣れ方が気になる方もおられるようです。でも気にしないでいただきたいと思っています。私の目標は型ではなくて数ということなので、気にしないでいただきたいものです。
 それと池全体の様子がよく分からないものですから、顔見知りになった常連さんのアドバイスを受けながら、釣り座を巡り歩いている状況です。これも、普段から毎日来ている方の座っている釣り座を観察して、その釣り座は座らないようにしているわけです。というのは、いつもの席が空いていないと釣りをしないで帰ってしまう人がおられる、ということを耳にしたような記憶がありますので、その方たちの楽しみの邪魔になってはいけないという思いがあるからです。常連さんを大事しないといけないのです。それは私自身も皆さんから大事にしていただけないということに繋がるからです。
 やはりその点では白井の池と逆井の池とでは成り行きが異なっているわけです。私の場合はアタリが明確にさえ出す事ができれば、そのこと自体は私自身のウデの未熟ということもあって、50枚に達することもあれば20枚で終わってしまうこともあるとか、ということで釣果が一定しない状況です。
 これはやはりメインの釣り場にして通っているかどうか、ということが大きな原因としてあげられると思っています。その点では白井の釣堀では12年も通っているわけですので、つまり、これまでは1週間に2〜3回とか、通ってきたわけですので、良いも悪いもといいましょうか、酸いも甘いもといいましょうか、池の癖もよく心得ているつもりですので、アップダウンがあったとしても、釣る時はしっかりと100枚超を釣る、という状況です。
 その点では逆井さんの池では今後の私自身の課題だと感じています。もうしばらくの間はこのままのペースでモッタリモッタリと釣り座遍歴をしながら慣れて行こうと思っています。ですから結構アップダウンのある釣果ということになります。
 そういう意味で、逆井さんの池にも人にも慣れるまで、もうしばらくかかるかと思うのです。郷に入れば郷に従う、という格言は今の私にとってピッタリのものだと感じています。それにしてももう少し逆井さんでの釣行回数を増やさない事には慣れては忘れ、分かったと思っては忘れるという繰り返しになりそうな気もしています。
2017年4月27日(木)
その123. ハリス0.6号
2017.4.27
 面白いものでやってみると出来るものです。
 2年前のこと、ヘラの管理釣り場で、顔見知りの人と話になって、その話というのが、鈴木さんは随分と釣りますね、ということで、その秘訣はハリス0.4号にあると思いますけど、と80歳過ぎの方がおっしゃったわけです。
 私のライン(道糸)は0.8号でハリス0.4号で作っていたわけです。この組み合わせは今から13年前の2005年6月18日に初めて管理釣り場でのヘラ釣りに誘われて参加したときに作ったものでした。この時に10枚を釣りました。
 それまではハゼ釣りを中心とする海釣りが主で、ヘラ釣りは昔の勤務先の元同僚の会に誘われたときだけにやっていたものでした。それでも一応はヘラ釣りのタックルはワンセット持っていました。28年前の1990年に釣りの師匠が師匠の知り合いのヘラ会の釣りに行くというので鈴木さんもいらっしゃい、ということで、その時に師匠の行きつけの釣具店へ連れて行かれて、8尺から21尺までのヘラのサオとウキ、ハリ、道糸、仕掛け巻き、土手にセットする金属の台、その他必要道具一式を買込みました。現在も使っている木製の箱、これは合切箱と言うらしいのですが、これもその時に師匠の知り合いの釣り会の職人さんに作ってもらったものでした。道具としては合切箱が一番高かった記憶があります。8尺から21尺までのサオをワンセット揃えるよりも費用はかかりました。ですからこの合切箱は壊れずに今でも愛用しています。野釣り用の道具入れで、野釣りの時に腰掛にして利用するタイプです。
 要するに、一切合切の道具を新品で、イッチョ前のヘラ釣り師の出で立ちは出来たのですが(お金をふんだんに投入しましたので、この点については師匠の顔を潰してはいけないという思いがあって私としては相当に見栄を張ったのですが)ウデの方はもうどうしようもないヘボということだったのです。
 ですから私の元同僚のヘラ会でも、天きり私などは上位候補から外されていて、スズキさん、今度も来るの???!!!という具合だったわけです。当然のように師匠が参加するヘラ会でも、おたくダレ、ということで番外だったのでした。
 ですからその当時にどのような仕掛けを作ったのかよく覚えていません。まあ、その程度の気の入れようと言いましょうか、私としても釣りの対象魚は別にあったわけで、ヘラはお付き合いの釣り、程度で、向上心というものはなかったように記憶しています。
 私がヘラ釣りを意識したのは2005年6月18日に10枚を釣った後のことで、3回目の管理釣り場のヘラ釣りのときで2005年7月27日の1枚という釣果の時でした。7月の季節に1枚という釣果は現在ではとても信じられないことなのですが、まあ、そのような実力だったということです。そのときに私を管理釣り場に誘った80歳のお年寄りは20枚とかを釣っていたわけです。鈴木さん、今日はどうかしちゃったの、とか言われたと思います。
 その事があって私の闘争心と言いましょうか、悔しさと言いましょうか、何か知れないもの火がついて、ムラムラッと来たわけです。要するに、お付き合いで、ご機嫌取りで、片手間にやっている暇つぶしの釣りではいけない、と思ったわけです。
 そのときに仕掛け全般を見直したと記憶しています。ハリスを0.4号に「決定した」のもその時です。0.4号という太さは馴染があって、それはハゼ釣りに使う袖バリ1号のハリスが0.4号だったわけです。ハゼ釣りは江戸川放水路ですが、始めは袖バリ3号とか4号とかで釣っていたわけですが、ハリスは0.6号という具合で4号は0.8号でした。これらのハリを使ってハゼを一日で1,000尾釣る、ときには1,500尾を釣る、という釣りをしていました。これも「ハゼと勝負する」という意識がありませんと、なかなかにハゼも1,000尾釣らせてくれませんでした。江戸川放水路のボート釣りで一日1,000尾のハゼを釣れる人は私以外にワンシーズンに一人出るか出ないかというところです。それほどにきびしい釣りになります。その一人という人が出ても(出ない年が多いです)それっきりで生涯に初めて1,000尾を釣った、という具合で、というのは、鈴木さんのように自分も一度でいいから1,000尾釣ってみたいという夢のための人が多いのですが、中にはもう二度と挑戦したくないとお話しされる方もいます。
 それは何故かといいますと、ハゼを一日に1,000尾も釣りますと、両手の指がハリとハゼのウロコとで損傷するわけです。皮膚がすり減ったりハリのチモトが当たる部分の皮膚に穴が開くわけです。これは飛び上るほどに痛いのです。
 そのことを経験しますともう二度とやりたくないとおっしゃるわけです。
 私の場合は、一度1,000尾を釣ったら、それからはそれを再現して、コンスタントにワンシーズン何回でも1,000尾釣りをしたいと願望したわけで、それには、手の損傷をいかに防ぐかという課題があったのでした。
 まずハリですが、ハゼの唇からハリを外すときにハリのチモトをどうしても掴みます。袖バリはヘラバリと違ってハリにアゲ(カエシ)がついていますから、ヘラの時のようにすんなりとは外れません。どうしてもある程度の指力でつかんで押したり引いたりひねったりするわけです。その時にどうしてもハリが指に当たります。このようにして1,000尾以上のハゼのハリを外していますと、右手親指の爪付近の皮膚に穴があくわけです。これはどうしようもありません。
 そこでハリの大きさを2号、1号と小さくしていったところ、1号のハリのときに最も損傷が少なかったのです。といっても全くなかったわけではなくて、つまり、皮膚そのものは薄くなってそこだけ穴が開きかけている状態なので、例えば明日か明後日かというように日を詰めてハゼ釣りをすると絶対に間違いなく釣っている早い段階で穴があくという状態だったわけです。私の経験では、どのように注意してハリを扱っても1週間の間をあけませんと次の釣行は無理でした。指の損傷の回復に1週間近くはかかるということです。もちろん、その部分には薬を塗ったり絆創膏を貼ったりと「手当」はしているのです。
 余談が長くなりましたが、ハリを1号にしたのは、1号のハリでなければ1,000尾を達成できないということではなくて、指の損傷を防ぐための措置だったということです。ですから、一日に100尾(束釣りという)でいいとか、500でいいとか、というのであれば、指の損傷もありませんので、ハリの大きさは関係がないのです。
 その1号バリのハリスが0.4号だったわけです。私が管理釣り場のヘラ釣りを誘われてはじめて釣行した時代はハゼ釣りをメインとしていましたので、ヘラ釣りで1号のハリを使うこと、0.4号のハリスを選択することに何の疑問もありませんでした。また、0.8号、0.4号という組み合わせがヘラ釣りの場合一般的なのかそうでないのかとか、の知識は全くありませんでした。ごくごく当然のようにセットしただけでした。
 それなのに私がヘラを一日に100枚釣るということがとても周囲に目立つようになって、いつの間にか、気になる存在のようになったときに、鈴木さんのハリスは0.4号だから釣れるんじゃないの、とかいう話になった訳です。私としては何の疑問もなく、改めて検討したわけでもなく、成り行き上、当たり前のものとして使っていたわけなので、その時に、そうなんかあ!!??という一種の驚きがあったのでした。と同時に、それならば、ハリス0.6号でチャレンジしたらどういうことになるのだろうかと思ったわけです。
 そこでハリス0.6号、道糸1.0号にしました。道糸はヘラ釣りのセオリーからいうと1.2号にするのがベストということのようですが、私はウキとのバランスで1号のラインにしたのです。1.2号にしますとウキを立てた時のウキにかかるテンションが1号のラインよりも大きくて、つまり、ウキからサオ先までの水面にあるラインが、ムクトップの極細のトップを使うウキに影響すると私は思って1号にしたのです。ボディの太いパイプトップのウキならばさして影響はないと思っています。
 そんなわけでこのところはずっとラインは1号、ハリスは0.6号という設定で仕掛けを作っています。
 それに替えたところ副産物として思いがけないことがありました。それはラインが切れることがほとんどなくなったということです。0.8号のラインだった時は、ときおりラインが切れました。ウキを持っていかれてとうとう出てこなかったこともありました。切れるのはウキ止めゴムのところからとか、オモリ止めのゴムのところなどが多かったです。0.8号のラインだった時は、その仕掛けで100枚を釣りますと次回は絶対にそれを再使用しませんでした。次回は必ず新規の仕掛けを使って、それにトラブルがあった時に一度使った仕掛けをつなぎとして再利用した位です。その程度のことはしましたがメインで初めからは使いませんでした。0.8号のラインの場合は100枚というのが1つの限界と私は経験的に感じていたのでした。
もう一点、ハリの消耗が少なくなりました。厳密にはハリスが原因のトラブルです。合わせ切れがほとんどなくなりました。誰でもそうだと思いますが、アワセそのものはサオ先を軽くヒョッと30cmほど上げるだけでハリ掛かりするということは知っているわけです。私の場合もそうであって、じっとウキを見つめていて希望のアタリが出るのを今か今かと待っているわけで、アタリがありますと、それっということで、遅れてはまずいということで「必殺のアワセ」をするわけです。私などはハリ掛かりしたときの音がヒュッという音が出るほどの水切り音がします。いつも思うのですが、そんなに鋭くきつくアワセなくてもいいのに、と自分ながら思うのですが、こればかりはどうもいまもって直りません。
 というわけで、ハリス0.6号でも一日にヘラを100枚底釣りで釣れる実績の蓄積中ということで、手帳の記録も更新できていますので、当分の間、道糸1号、ハリス0.6号で管理釣り場のヘラ釣りを楽しんでみようかと思っています。
2017年4月18日(火)
その122. ひ・み・つ
2017.4.18
 誰もが、一つや二つは秘密にしていることがあると思います。何となく言っていない、ということにまで範囲を広げると際限もなく「秘密」にしていることは増えてしまいます。
 悪気がなくても、相手の人が聞かないから、質問しないから、言わなかっただけ、ということもあります。
 この質問されなかったから、ということが曲者で、これが、釣りの技術的なことで質問されたときに、ある問題が起こります。
 釣りのテクニックというものは人によって差はありますが釣りをしていると経験を積みますから、ある一定の認識というものは出来上がって来るものなのです。ですから、半年前に聞いた話というものが、半年してからある瞬間に、このことだったのか、ということで、意味が理解できるということがあります。
 ところが質問されている釣り人も「人の子」ですから、ご自分が苦労して研究して経験を積んで何年と言う年月をかけて到達した技術的水準のお話を、例え初心者だと言っても、見ず知らずの方に質問されたからと言って、軽々とは開陳できない、という心境になるのは仕方がないことだと思うのです。
 ですから、一定のウデ(技術的水準)に達している方の場合は、ある質問をして、その受け答えが帰って来た時に、返答をしている人がどの程度までテクニックを開陳しているか分かるということがあります。痒い所に手が届くような丁寧な返答でないということです。
 ということは、そういうことが分からない人の場合には、聞いたことを試してみるのですが、どうしてもうまくいかないという壁のようなものがある事に気づきます。
 そういうことは私自身が過去に何回も経験していることですから、このようにみなさんに書けるわけですが、現実としては試行錯誤するわけです。つまりテクニックが身に付くのにヒマがかかるわけです。
 でもよくよく考えて見れば、上手な方が上手になるまではどれほど苦労して来たかということを考えますと、先に書いたようにおいそれとは肝心なことは教えられないということがあると思うのです。
 これは、エサの作り方とか、手直しの仕方とか、ハリに付けるまでのエサの握り方とか、次の投入の時にハリに付けるエサをエサのボールの中に事前に作り置きしていいのかいけないのかとか、どんな時によくてどんな時はしないようにした方がいいのかとか、いま使っている上下のハリの段差の長さの意味とか、投入の仕方とか、ウキの目盛りをどこまで水面へ出してどこで出るアタリの場合はエサがどのくらいハリに残っているときのアタリでハリ掛かりの確率はどのくらいかとか、本日はこの目盛りでなぜあわせているのかとか、いろいろな場面があります。
 人間というのはおかしなもので、テクを教えてしまうと、その人が教えた自分よりも上手になってしまうのではないか、という、ある種の強迫観念のようなものがあって、上手になりそうなタイプの方には余計に肝心なことは教えない、ということがあると私は思っていますしこれまでに感じてきたことも確かです。
 これは事実です。技術と言うか立場と言うか、それを独占していたいわけです。このことは仕事上のことになるともっとはっきりと出ます。特に技術的な事とか職人のような経験を積んだ技ということになりますとそれがきついです。また、営業ということを考えますと接客の技術というものはなかなか伝承されません。ノルマなどがあって競い合っている場合はなおさらです。
 ライバルの会社同士であればもっとはっきりわかります。企業秘密というものが必ずあって、それを盗むのが産業スパイということになります。
 このようなことが釣りの世界にも反映されて、技は盗むものだ、と言うことにもつながっています。
 私がハゼの本とかヘラの本を出版したときに釣具店の経営者などに言われたことは、こんなことまで書いてしまっていいんですか、ということでした。これは私のことを心配して言ってくれた言葉ですが、つまり、上手な人が増えてしまうと鈴木さんの優位な立場が低くなるよ、ということだったのです。
 そういうときはいつも申し上げるのですが、私が死ねば、つまり、釣りが出来なくなったら、私のテクニックはそのままあの世に持っていくということになりますよね、私と接触した人にテクは伝わらず、残らず、ということで消滅します、だから書いたもので残しているのです、と申し上げています。
 釣り場でときおり質問する方がおられますが、私の場合は出来るだけ丁寧にお答えするようにしています。経験したことは経験した、分からないことは分からない、知らないことは知らない、ということで言います。また、釣り場で何回かお会いしているとその都度質問があることがあります。前回と同じだったり、違ったものだったりといろいろです。でもそれは私の返答の仕方がうまくいかなったからそうなったんだと私は思うのです。しかしあるいはその方の実践の仕方がまずかったのかもしれないのですが、それは、私自身の釣行回数とか、のめり込み具合とかが、質問された方と同じではないということを勘案しませんと、一概にその方のやり方が不十分なんだと決めつけるわけにもいかないのです。なにしろ私の場合は家内から釣りキチと称号を賜わっているほどの釣りバカですから、釣行回数も自分でいうのもおかしいですが比較にならないほど多いわけです。
 ですから聞いたことを試したとしても釣行間隔があいていますとなかなか身に付くまでヒマがかかるわけです。極端な場合は「忘れてしまう」ということもあります。これは私を含めた年配者の「独占的な特徴」ですが、忘れるということはとても便利な仕組みだと思うのです。私などは嫌なことはすぐに忘れてしまいたいのですが、それがうまく出来ず、直近の肝心の釣りの経験をなんとなくぼんやりと忘れていて、ある瞬間にハッと思い出すという年齢になっています。ちょっと昔のことはよく覚えているのです。
 そんなわけで質問される私も質問する方も同じ土俵にいる釣り人仲間同士であって、お互いに助け合いながら釣果の向上を目指すということで、実際に釣果が多くなればとてもうれしいことですので、自己最多記録が出ればよし、出なくてもよし、ということで楽しみたいと思っています。
2017年4月12日(水)
その121. 事前に準備しておく
2017.4.12
 釣りも仕事と一緒で段取り次第で釣れたり釣れなかったりします。段取りが上手にできていると仕事がスムーズに進みます。
 現役の頃、自営業だった私は社員が出勤してくる時間よりも1時間以上は早く出勤して、その日の仕事の段取りをしていました。社員が来た時にはお茶を入れて大きな湯のみ茶碗でゆうゆうとお茶を飲み、日経新聞を読んでいました。社員が出てきた時はその日の仕事は私にとってもう終わったようなものでした。
 そのように仕事の日程は何日も前に分っていることでもありますし、今日何を何時にやり、誰がどこへ行くか、という具体的な段取りをしていたわけです。勿論、前日に社員が退社後の新規の仕事などは社員が知らないわけですから、いろいろと調整をしたわけです。社員の仕事をする流れが滞らないように時間の空白ができないようにしていたのです。
 思い通りに仕事を流す、予定通りの結果が出る、ということは事業主としてはとても「気持ちの良い」出来事でした。
 仕事というのは結果だけでなく、仕事をする過程が楽しくて面白くて、結果が出るまで心がわくわくするということが大事だと思っていました。勿論、このようなことは仕事をした結果「大きな利益が出る」ということが大前提です。赤字では楽しくなんかないからです。手元にお金が残るということが事業をする場合の目標であるわけですが、その過程としては、事業主と社員が「楽しく仕事ができる」ということが必要だと私は思っていたわけです。
 私が釣りをするときは、じつは「仕事のように釣りをする」という気持ちです。つまり、段取りをしっかりとつけるということです。段取りが出来ていない釣りなんて「仕事ではない」と思うからです。つまり、結果が期待できないという意味です。
 勿論、釣りの場合でも意外性のある要素がありますので、突然に大釣りが出来るということがあります。仕事でもそういうことがあります。でも、それを再現するのは難しいでしょう。
 先日のこと、些細なことではあるのですが、釣りをしていて遅れてきた釣り人がおられました。釣ザオにラインをつけてウキをつけ、水面へ垂らしているではないですか。それを見ていましたらオモリの調節をしているわけです。何度もオモリを切っています。
 しばらく釣っていてサオを取り替えました。今度はさっきよりも短いサオになりました。そうしたらまたまたウキのオモリ調節をしています。ということは、その方はラインにウキ止めゴム、オモリを巻く道具、オモリ止め、ヨリ戻しはセットしてあるようです。ただ、どのウキを使うか、によってオモリの量が違ってきますのでオモリ調節をするわけです。
 私はそれを見ていて@それでもいいという理解と判断で釣りをしているAもっと有効な段取りがあるのに気が付かないで釣りをしている、のどちらかだと思ったのです。
 私の場合は、10尺のサオで釣りをしていますが、そのサオにセットするものはすべて事前に何組が用意しています。どのようにしているかといいますと、(知ったかぶりをするようですが、既にそうしている方は無視してください)、まず、10尺のサオに使用している1号のラインをセットします。サオよりも10センチほど長くします(最終的にはサオ尻に合わせてカットします)。それにウキ止めゴム、ウキをつける部品、ウキ止めゴム、下にオモリ止めゴム、オモリを付ける部品、オモリ止めゴム、一番下にヨリ戻しの部品を付けます。その下に使用するハリ上下を結びます。こうすると10尺ザオで使用するラインのセットがすべて揃うわけです。このようなものを三組とか四組とか作っておきます。この場合に大事なことは使用する部品はすべて同一規格の物に統一することです。次にすることは、ウキ一本一本について調節したオモリを用意することです。
 それはどのようにしておくかと言いますと、先ほど書いた10尺サオ用に作った仕掛け一式をくるくると小さく畳んでしまいます。そのために何か別の部品を使ってはいけません。つまり、余分な目方を乗せないためです。その小さく畳んだ一式のラインにあるウキを取り付けます。例えばAウキとします。次にちょっと深いバケツにいっぱいに水を入れてそこにウキを立たせます。これからは先ほどの釣り人が釣りに来た池でしていたことと同じ作業をします。Aウキがついたものにオモリを付けます。そしてご自分がエサ落ち目盛りにしたい部分の目盛りにちょうどよいくらいにオモリを調節します。これでいいかも、というオモリにカットができたら、次に、予備のオモリを切ります。それらも先ほどの一式の固まりにウキとオモリをつけて気に入った目盛りの所でオモリをカットしておきます。このようにして、Aウキ、Bウキ、Cウキなどご自分が使う頻度が多いウキすべてのオモリを切って予備としておきます。
 このようなことをしておきますと、釣り場で「ウキの付け替えをする」というようなときに、制限時間30秒、などという短時間でウキの付け替えが完了します。周囲の人が、鈴木さんがウキを取り替えかえたなんて全然知らなかった、ということが起こるのです。
 ご自分が使用するサオが例えば、10尺、12尺、14尺などと何本かある、という場合は、それぞれの長さのサオのライン一式をすべて準備して使用するウキのオモリ調節もすべてしておくと釣り場でのロス時間が少なくてすみます。
 私がこれをいうのは、釣り場でオモリの付け替え、オモリ調節をしていますと、気持ちが焦るわけです。しかも、10分とかの時間がかかりますと、サオの下に寄っていたヘラが散るわけです。いやあ、寄り過ぎて困っていたから散ったほうがいいんだ、というお方はそれでもいいでしょう。でも多くの方は多分気持ちは少し焦り気味で周囲の目を気にしながら変更作業をすることでしょう。
 さて、既に準備してあるライン一式を付け替えたとか、ウキを替えたとか、あるいは、予備に切っておいた新しいオモリを付けたとか、という時は、底釣りなどの場合でも実際に振り込んでみて空バリでウキを水面に立たせてみてエサ落ち目盛りを観察します。すると自宅で予備オモリを切った時と釣場とではちょっとばかり目盛りの出る位置が違うということがあります。私の場合では大概はエサ落ち目盛りの出る位置が少し上になります(トップの細いムクトップなので!!)。ということは予定よりもウキが少し沈むということです。このことはパイプトップの場合とか、ムクトップでもトップがやや太くなっているウキですと沈み幅は少ないと思います。
 底釣り場合はハリをつけて事前にエサ落ち目盛りでオモリを切っておいても、釣り場でハリにタナ取りゴムをつけて底の深さを測ってから空バリのままでウキを立たせますと、上下のハリ2本は池の底に着いているわけですから実際は上下のハリの重さはゼロになるわけです。ということは予定のエサ落ち目盛りよりも下の目盛りが出るわけです。その事が嫌な方の中には準備の時にハリをつけないでオモリをカットことがあります。
 その事を考慮に入れて事前にオモリをカットするときに予定のエサ落ち目盛りの所よりも少し上の目盛りのところでオモリをカットします(少し沈めるということです)。こうすると現場で底へハリを2本付けた状態での空バリでのウキの目盛りの位置がちょうどよい位置に出ます。
 このような微調整が事前の準備で面倒だという方はオモリを切るときに大雑把にこのくらいでいいか、という大きさでカットしておけばいいでしょう。あとは現場でオモリとかウキをつけ替えた時に、大雑把にカットしてあることを承知しているわけですから、微調整もわりと簡単に出来るのではないでしょうか。
 私は釣り場でウキを替えるたびにオモリをカットしたくなかったのでこのようなことを実行しているわけです。なお、サオの長さごとのライン一式は仕掛け巻きにセットし、使用するウキの調節したオモリなどは小さなビニール袋に入れてメモを書いておきます。ライン一式は1本のサオごとに最低2組、できれば3組程度は予備が欲しいものです。ラインが切れた、こんがらがって使い物にならない、などトラブルはいろいろあります。そのときにいちいちライン一式を新規に作っていたのでは釣りにならないと思うのです。釣り人の中にはライントラブルがあると違う長さのサオを出して続行する、面倒くさくなって釣りを中止して帰ってしまうという場合があります。釣りを止めてしまうのはライン一式を新たに作るのが嫌になってしまうからです。
 成績に影響するのは段取りがすべて、とは言い切りませんが、ちょっとばかりは釣果に影響があるのでは、と思う昨今です。段取りが足りないということは、その他のことすべてについて少しずつ何かしら足らないことがあるのではないのか、と私は思っているからです。
 釣りは仕事のように、いや、仕事以上に綿密に、緻密に、事前に準備して、気合を入れて臨むことが、ご自分の満足感を味わうのにいいのだろうと思っています。
2017年4月5日(水)
その120. 有給休暇
2017.4.5
 今年の4月1日、行徳では冷たい雨が降りました。内陸ではみぞれや雪だったようです。
私が脱サラして自営業を開業したのが今から33年前の4月1日でした。この日は大雪でシューズでは歩けず長靴を履いてあいさつ回りをいたしました。
 新規開業の日の雪は縁起が良いと喜ばれたものでした。幸に私の仕事は順調に推移して今日を迎えることが出来ました。
 その雪が33年ぶりに4月1日に降ったわけです。釣りという視点で考えますと、今年の冬は1月、2月が暖冬でヘラも真冬でもそれなりによく釣れたと私は思っています。ところが3月からは不調でとうとう4月を迎えてしまいました。それも4月3日までは寒さの影響が残る有様でした。
 このような事態は私の手帳の記録からは出てまいりません。さすがに33年ぶりの異常事態と言えそうです。きっと33年前のヘラ釣りも食い渋りの激しい3月だったと思います。
 私の手帳の記録でも、今年のヘラ釣りの釣果は異常と思われる少なさで、とうとう100枚超を記録することが出来ませんでした。自虐的に自分のウデが鈍ったのではと思うこともありますが、このことは気候変動だけでなく他の要素もあるかと思いますが、ともかく、寒さが長引いて春の訪れが遅れていることも原因だと思っています。
 地元行徳でも桜の開花が遅れていてようやく本日になって八分咲き程度になりました。本日は日中の気温が18度にもなりようやく暖かみを感じられる一日になりました。私がサラリーマン時代のことですが、このような事態もあったと思いますが、ともかくも、現役のときは「サンデー釣り師」ということで、一番の楽しみは、平日に有給休暇を取って釣りに行くことでした。
 やはり、同僚に何となく内緒にして、仲間と示し合わせて平日に釣りに行くという「快感」は言うに言われぬものがありました。こんなときに詮索好きな人がいて、Aが休暇を取って今日いないから、BとCもきっといないだろう、ということで、社内電話を使って「捜索」するということがありました。笑い話ですが本当のことです。
 現役のサラリーマンの場合は休暇を取って平日に釣りをするということは、一種の気持ちの良いことだったと思っています。私などは模範的なサラリーマンだと思っていましたから、毎年のように有給休暇を余らせて、しかも年間20日しか繰り越せないのに、それをオーバーした分を毎年のようにカットされていたような有様でした。つまり、休暇を取るということ自体がなにか後ろめたい感じがして、「サラリーマンは会社をやすまないということが最大の成績なんだ」というようなことを思っていた種類の人間だったわけです。律儀と言えばそうですが、一般に同僚に負担をかけてはいけない、という感情はあったと思います。
 ですから、有給休暇を取って釣りに行くということは、清水の舞台から飛び降りるような、なんとういか、罪悪感のようなものを背負っていたと思うのです。それにもかかわらず、会社を休んで釣りに行くということは、釣りの魅力というか、なんというのでしょうか、釣り人の少ない平日に思う存分腕を振るってみたい、という誘惑の方が勝っていたのだろうと思っています。サラリーマンの場合は大体がサンデー釣り師で、釣り人がごった返している土日祝日の釣りですから、平日の釣りがうらやましくて仕方がなかったと記憶しています。
 ひるがえって、現在は毎日サンデーです。逆に、釣り人の多い土日祝日を避けている日々です。
問題は現役の人たちが仕事をしているのに、自分は釣りなどにうつつを抜かして遊んでいて、これでいいのだろうか、と思ってしまうことです。このことは、定年などで引退した人たちが、ようやくのことでゆっくりと釣りを楽しめるという環境になった途端に心の中に芽生える感情です。
私などは現役引退の理由の半分以上は「平日に釣りをしたい」という感情が優先していたわけで、引退後に釣り三昧の生活をすることについては何の疑問も生じませんでした。
釣場で拝見していますと、現役時代の釣りの方が引退してからの今の釣りよりもずっと楽しかった、とおっしゃる方がおられます。これは事実です。実際にそのような事をお話しされた方も何人かおられました。
これは「まじめすぎる」お話です。もうご自分に長年の労働に対するご褒美を上げてもよいのではないのでしょうか。妻のため、子供のため、家のため、同僚のため、会社のため、と言いながら働いてきたご自分をいたわって、ゆうゆう自適の年金暮らしなど、いいではありませんか。
もしも気持ちの切り替えが出来にくければ、たとえば週に2〜3回程度の軽労働なりをされて、釣り日程を優先する生活をされればそれでいいではありませんか。
私なども釣り以外に執筆その他やる事を残してあって、これは生活を維持するための労働とは全く別次元のやることですが、つまり全く収入にならないことをしているわけで、現実は費用は持ち出しになっているわけですが、そのことを「仕事と公言」していて、頭の中の思考回路を「納得させている」わけです。
このようなわけで、現役時代の釣りというものが、今から思うとある意味、最高に面白かった釣りということになると思うのです。ですから、現在現役続行中の釣り人のみなさんはわき目も振らず釣りに没頭し、仕事にも没頭して、ときおり同僚の目を盗んで休暇を取って釣りに行く、という醍醐味とでもいいましょうか、「やったぜ」というような感覚を満喫していただきたいものです。
現役を引退しますと、それまでのように誰かが作ったスケジュールといいましょうか、ご自分のやることが既定方針として誰かが決めてレールが敷かれていて、その流れに乗りさえすればなにも考えることなく一週間が過ぎるという毎日、それが、今度は、自分自身で土日祝日以外の平日のすべての日のスケジュールを、自分ですべて立案して、その事によってご自分のラスト人生を形成するという、なんといいましょうか、それを釣り中心に据えるという、ことをするわけです。このことはある意味大変な作業であって、よほどに釣りが好きでありませんと、ただ漠然と時間つぶしのために釣りをしているようですと、過ごしている時間が、無駄のように思えて、ある種のむなしさが心に去来するのではないのでしょうか。
ですから、引退したあと好きな釣りをするということを決めた場合は、ある意味「人間バカになって釣りバカになって」家族さえも呆れるような毎日を送ればよいと思うのです。
ご自分が引退後の人生を満喫さえしていれば、家族はその様子を見てきっと自分の将来の姿の一つとして選択肢の中に入れるのではないでしょうか。
決して仕事だけで「燃え尽き」てはいけないと思うのです。仕事をしていた時のような計画性、緻密性、目標、そしてご自分へのご褒美を必ず用意して、楽しく過ごせればよいのではないのでしょうか。
私などは現役を引退してすでに19年になります。その点ではすでに達人の域になっていると思っています。現役の人たちに対する引け目など少しもありません。自分が現役だったころにやるべきことはやってきた、という気持ちがあるからです。
2017年3月26日(日)
その119. エサの状態
2017.3.26
 ヘラ釣りを本格的に始めた当初のこと、2005年のこと、ウキの動き、つまり、アタリのことですが、その回数が極めて少なかったという記憶があります。アタリの回数が少ないということは、釣果が少ないということに直結致します。ということは、結果として、ヘラ釣りは難しくてつまらない、という認識になるわけです。
 ですから、私のヘラ釣りは、ともかく、何でもいいから、ウキの動きを頻繁に出すこと、ということを課題にしました。少なくともその事に関しては成功できたと思っています。ウキの動きを頻繁に出すというのは初心者の方とヘラ釣りをするときの最大のテーマといいましょうか、ポイントといいましょうか、ヘラ釣りを継続して楽しんでもらうための一番大切なポイントだと言えます。
 この点についての気持ちの切り替えをすることが「釣りという遊び」にとってとても大切なことだと思うのです。このことについては、ヘラ釣りを始めるまでに、いろいろな釣りをしてきていたことが大いに参考になりました。
 ウキの動きを頻繁に出すためには、エサがとても大切です。管理釣り場のヘラ釣りは「ヘラが池の中にたくさん飼われている」ということが大前提であり、そのことについての異論はないわけですから、ご自分のサオの下に、つまり、立っているウキの下に、「どれだけたくさんのヘラを集めるか」、ということになると思うのです。
 ヘラを集めるためには、エサを使って「おびき寄せる」という発想が大事だと思うのです。また、「おびき寄せたヘラを散さない」というエサの使い方も大事です。ですから、真冬にしても真夏にしても、釣果が希望の数字に届かない場合の原因の一つは、このエサの使い方にあると私はいつも思っています。まあ、言いかえれば、考え方と実践とヘラの状態がマッチしているかということです。
 では実際の場合はどうしたらよいのでしょうか。この点のテクニックについてはとても上手な方々が大勢おられます。私などは素人の見様見真似のヘラ釣り人生ですから自慢できることはないのですが、少なくとも、チャンスにさえ恵まれればバランスの底釣りで一日にヘラを100枚釣り上げることができる日もある、という昨今でもありますので、私のエサについて若干申上げてみたいと思います。
 エサは春夏秋冬ダンゴです。始めはいろいろな種類を使ってみましたが、ここ10年はダンゴエサです。2種類で@ダンゴの冬100cc+α21または綿グルを20cc+水130cc+バラケマッハ100ccというブレンドAダンゴの冬、ダンゴの夏、ヘラスイミー各100ccずつ+水140〜180cc+バラケマッハ100ccというブレンドです。これ以外のエサは混合していません。
ただし、真夏の時期にときによってはヘラが水面を黒くするほど上にいてやむを得ないと思う時は、エサをブレンドするときに粘力というものを混ぜます。それと真冬に力玉、暖かくなってからは力玉ハードUをダンゴエサ投入の合間に両バリにつけて投入し、そこそこのハリ掛かりを実体験しています。しかし、これらはあくまで「メインのエサ」では決してありません。
 ということでダンゴエサですが、やはり元エサの段階で@ボソエサに仕上がるAねっちりとしたわりと水分が多いエサに仕上がる、ということで、まず、この2種類だと思うのです。これは始めに入れる水の量によってコントロールできるでしょう。
 問題は元エサのママでハリに付けてそのままで食いアタリが活発に出る時と出ない時があることです。元エサのママではエサそのもののバラケ方(融けるスピード)が速いので結果としてウキのモドリが早いという現象になります。ただし、この点の良いことは、釣り始めの段階でのエサ打ちの時にウキが立ったらすかさずサオを立ててエサからハリを抜いて「池の底へエサをそっと置いて来る」という作業がテンポよくできることです。この時のエサについては良いことばかりではなく、弱点もあり、バラケが早いので底へ着くまでの水中でエサがパラパラとこぼれていて、これがヘラの上ヅリの原因になることです。とくに真夏の暑いときは注意が肝要です。そのときは元エサのママではなく、指で何回か押すとか、場合によってはすこし練るとかしてバラケを押さえることも必要です。
 以上のことを十分に加味して実行できれば、あとは、ヘラのご機嫌次第ということになると思っています。ですから、最初の寄せエサ打ちの段階でウキの動きが出るようであれば、少なくとも、ウキの下周辺にいるヘラについてはエサの周囲に寄って来たということが言えます。
 寄って来たヘラを釣り上げるためには、食いアタリが出なければなりません。@ウキがズブッ、あるいはカチッ、ドンなどと二目とか一目とか力強く沈むAチクッと黒帯一つ分ほどウキが動くBウキがかすかに震えた感じがする、というような三つの代表的なウキの動きがあるでしょう。これはあくまでも底釣りという釣り方でのアタリを書いているわけです。宙釣り、段底釣りなどは別です。@のアタリはエサが比較的たくさんハリについているときのアタリ、つまり、ウキがまだ沈んだままでエサ落ち目盛りまで戻っていない段階でのアタリです。Aのアタリはエサ落ち目盛りにわりと近くまでウキが戻っているが完全にはエサ落ち目盛りが出ていない段階で多いアタリ、Bは完全にエサ落ち目盛りが出ているがまだエサがハリにいくらかでも残っているのではないかと思って待っている時のアタリ、というように大まかに分類ができます。
 ということは、ハリに付けるときのエサの状態を、どのような感じのものにすれば、ウキのモドリが早いのか遅いのか、ヘラの吸い込みの模様が一発で吸い込んでくれている様子なのか、それとも、そうでないと思えるのか、ということがあります。このことは実際にご自分で様々なタッチのエサを実際に使用してみて判断する必要があります。
 それは何故かといいますと、ダンゴエサと言ってもエサの種類はまちまちで、使用される釣り人も様々で、一様には同じタッチのエサに修正が出来ないからです。大切なことは、ご自分が使い慣れているエサを徹底的に使い慣れて使い切るということだと思います。
 私のダンゴエサの種類分けは一つです。それは仕上がったエサの比重が軽いか重いか、これだけです。水温が低い冬場は始めに書いたエサの@を使い、夏場前後はAを使います。比重が重いエサで底へピッタリと安定させてヘラのアタリを待つわけです。比重が重いか軽いかはエサの袋に表示されていますし、実際に使ってみればウキのナジミ方が違ってきますので判断できます。冬場は軽いエサの方が吸い込みが良くていいでしょう。
 夏場に使うAのエサの欠点はバラケのスビートが速いということです。ですから真冬に使うにはエサ持ちが悪いという点でも失格です。ですが、これは良い面でもあります。寄せエサ効果がいいのだし、投入して60秒以内の早い段階、つまり5秒〜10秒程度の時間内で活発なアタリを出せるからです。夏場の釣りに適しています。それが出ない場合は@ヘラがウキの側近くにいないAエサのバラケが遅くて吸い込みが悪い、のどちらかです。
 考え方として本日は書いてみましたが、ご自分のエサを信じて、あるいは、別ブレンドにチャレンジして、いずれにしてもメーカーの作ったエサの特長をよく理解して元エサを作り、あとは「使い方次第」「ヘラのご機嫌次第」ということで釣りをしたらいかがでしょうか。
 どちらにしても、使っているエサを徹底的に使い切ってみるというくらいの気持ちがありませんと、エサの目移りばかりしてしまって、どのエサの使い方もマッチしたものにならないという悪循環になると思っています。この点は私が過去に通った道筋でもありますので、躊躇なく申上げることが出来るわけです。
2017年3月17日(金)
その118. アタリがないという質問
2017.3.17
 先日、ヘラ釣りに行った時の話。
 帰りに駐車場でたまたま一緒になった見ず知らずの方となんとなく会話になって、その人が言うには8枚だったとのこと。初心者ですとおっしゃいます。
 18尺の長ザオだったそうです。タナ取りがどうのとおっしゃいます。キチンとタナが取れないから釣れなかったと思うとのこと。タナ取りに1時間かかったとのこと。アタリがないのはタナ取りがキチンとできていないからだと思うともおっしゃいました。
 私にそのタナ取りのことをお聞きになりますので、私は、ということでお話をしました。あくまでも10尺ザオの釣りという条件付きでお話ししました。
 じつは私にとってのタナ取りは、最初にタナ取りゴムをつけて測定して、それで完璧にタナを決めるという意識は全くありません、あくまでも「目安」に過ぎません、と申上げました。すると、エッとおっしゃいます。一応、タナ取りゴムをつけて前方、中央、手前、右、左と測りますがそれは底の起伏を調査しているのであって、ウキを立たせる位置の目安を把握しているにすぎません、と申上げたのです。本当にそうなのです。この最初の作業はすぐに終わります。
次の作業は、エサを両方のハリに付けて目いっぱい振ってウキを立たせます。ウキのナジミメモリが分かるでしょう。二投目は落とし込みの積りでウキの立つ位置の少し前方へ振り込んでウキのナジミメモリを確認します。三投目と四投目はウキの立つ位置の右側左側ということで振り込みます。
するとタナ取りゴムを付けた時のナジミメモリとの違いが分かります。そこで最後にはご自分が慣れている一番見やすいナジミメモリの位置にウキが立つようにウキ下を微調整します。上げたり下げたりということです。
このような作業は私の場合普通は6投ほどで完了しています、と言いました。それからエサの大きさ、エサの硬さなどで当然のようにエサが底へ着地するまでのエサのバラケル量に違いがあります、と言いました。目に見えることとしてはウキのナジミメモリの位置の違いに出るでしょう。ですから、自分としてはこのような形に振り込んで、このナジミメモリの位置でウキを立たせたい、ということを決めておくということも大切で、そのことによって、エサの大きさをどの程度にしたらちょうどよいのか、とか、エサの硬さをどの硬さにしたらいいのか、というようなことが判断材料として出てまいります。
このようにウキのナジミメモリを希望の位置に常に出すことに注意を払っていますが、始めのこの作業のもう一つの意味は、エサをつけてウキ下の微調整をしているときに、何回か振り込みをするわけですが、その作業自体がヘラをウキの周囲におびき寄せる「寄せエサ」あるいは「コマセエサ」の役割を担っているということです。それを意識的に効果的に「まきエサ」として無駄なく利用するということです。
もう、3月の中旬過ぎになりましたので水温、気温等の条件は申し分がありません。ヘラは春の気配を感じて動きが活発になり、産卵に向けての食い気も活発になり、4月にはいよいよ乗っ込みとなり、管理釣り場でのヘラ釣りのもっともよい季節になります。
ですから、タナ取りのために振り込んでいるエサがとてもよい寄せエサとなり、活性が高い日などは1〜3投目にウキにサワリの反応が出ます。タナ取りの微調整中にサワリが出ても、それに構わず微調整を続行します。私は大体10投目ほどまでは微調整と寄せエサ打ちを兼ねてエサを投入します。タナ取りが完了してもサワリが出ない時は、エサをやや小さ目につけて前方へ大きく振ってエサを「水中遊泳」させて、エサが着底してから一、二、三と数えてから、パッとサオを上げます。それを繰り返しますと、必ず、サワリが出ます。ウキがしっかりと立つ直前にウキになんらかの変化が出るのです。
それが確認できましたらご自分の「釣る態勢」にされればいいでしょう、と申上げたのです。
じつは私自身も12年前は初心者の状態でヘラ釣りを始めたわけでして、どうしても、最初のうちは、アタリそのものの絶対数が極端に少なかったわけです。これでは釣堀でのヘラ釣りにはまったくならないわけです。つまり、釣堀はお客さんに楽しんでもらうためにヘラを飼っているわけでして、つまり商品ですので、いつお客さんが来ても釣りが楽しめるようにヘラのコンディションを整えているわけです。また、ヘラの絶対数に不足がないように新ベラの補充も年に何回かしています。
それなのに釣堀のヘラが釣れないということは、ある意味、釣り人の方が研究不足で、魚であるヘラに敗けていると私は思うのです。
本日は、先日駐車場での立ち話でタナ取りの質問がありましたのでその点についてだけ書いてみました。しかし、アタリが少ない原因のもう一つは「エサの状態」ということがありますので、この点については別の機会にお話ししてみようかと思っています。
なお、当日の私の釣果を聞かれましたので95枚とお答えいたしました。驚いておられましたが、これも10尺よりも長いサオでは私にはとてもとてもこのような釣果は打てません、目も見えにくくなっていますし、長ザオを振り回すだけの体力の自信がありませんので、と申上げたところ、タナ取りはきっとすごく楽ですよね、とか、自分も短めのサオでやろうか、などとおっしゃっていました。現役の方のようでした。
釣りの楽しみ方は十人十色ですので、ただ、数をたくさん釣ればいいということでもないと思っていますが、「この世の中で釣れないことほどつまらないことはない」ということも真実であると思ってもいますので、釣れた方が万事幸せであることは確かだと思うのです。
最期に私の釣りは、10尺ザオ、道糸1号、ハリス0.6号、上バリ3号28cm(暖かい季節の長さ)、下バリ2号35cm(1号のハリが製造中止で入手できないため)、バランスの底釣り、一年中両ダンゴの釣り、というものです。念のため申し添えます。
2017年3月1日(水)
その117. 雨の日に釣りに行く理由
2017.3.1
 私はよく天気予報で雨というと釣りに行きます。これは今でもそうです。
 一番の理由は釣り人の数が少ないということです。一人当たりの魚の数が多くなるからです。ということで私の釣りは数釣りです。自分はそうではないという方もおられることでしょう。それはそれで良いのです。しかし、私はそうです。
 鈴木さんは漁師かと言われたことさえあります。
 次の理由は雨のときは魚の警戒心が緩んで(???)アタリも大きく出て、わりと大型が釣れることです。酸素の補充があるから、とおっしゃる方もおられます。
 以前、サラリーマンだった時代に職場の同僚と語らって有給休暇を取って伊豆の修禅寺へよく渓流釣りに行きました。楽しい思い出がたくさんあります。というのは、尺オーバーかと思えるようなヤマメや時にはニジマスが釣れたからです。
 ところがそんな雨も降りすぎるとどうしようもありませんでした。渓流は濁流が渦巻いて釣りにならないこともありました。
 ヘラの管理釣り場での釣りは、ダム湖などは何回か釣り会で参加しましたが、もろもろの事を考えて参加しないことが多かったです。
 近郊の管理釣り場、すなわち10尺ザオで底釣りが出来るわりと小規模な池での釣りにここ12年ほどはなっています。危険に敏感な私らしい選択です。命を懸けているような釣りを敬遠するようになったのです。これは家内などは大賛成なようです。若いときは勢いでけっこう板子一枚海の底のような釣りとか、岸壁釣りとか、沢登りをするような渓流釣りとかに没頭していた時期もありました。
 ヘラ釣りではそんなわけで10尺ザオの底釣りということでわりと安全な釣り堀での釣りです。昔は「箱」の釣り堀もありましたが、現在はほとんど姿を消したようです。都会っぽい場所では箱釣りのヘラ釣りがある意味風情があってよかったと思っています。
 管理された小規模な池であっても雨が降るという自然現象のときはヘラの動きは活発です。テントを張って誰とも口を聞かず(周囲に誰もいないから)、ヘラと会話する気持ちで釣りができます。
 家内などは、雨が降っても行くの、といいますが、雨だから行くんだよ、と答えます。言葉で説明しても女性にはどうしても理解不能の様です。
 それなのに雨の日に行っても不発に終わることがあります。ヘラのご機嫌斜めのためです。ヘラの機嫌がよいということはストレスが何もないということです。真冬で水温が5℃を切るようなときでも機嫌が良いヘラはいいアタリを出して私の場合では20〜50枚は真冬でも釣り上げます。水面に氷が張ってしまうような日でも氷を割りながら釣って楽しい釣りをすることなど何回も経験しています。
 ヘラの機嫌が悪い日は決まってヘラの魚体を保護するために消毒薬を投入していることがあります。これは釣り人に楽しいヘラ釣りをしてもらうためにする池の経営者の仕事の一つです。消毒をしないなどということなど私にはとうてい信じられないことです。
 魚体に寄生虫がつく、菌が発生する、クチボソやザリガニを駆除する、など季節によってヘラを保護するための作業があります。私などはある池で使用した玉網を他の池では使わないというほど池の管理には気を使っています。ヘラのご機嫌斜めの状態は池によって違いがあると思っています。
 これは天候を見ながら実施することがありますし、そうではなくて定期的に行うなどもあります。私の経験則から言いますとやはり休日はお客さんの数が多いので、ヘラのコンディションを良好にして休日に焦点を当てて準備するということがあります。これは当然なことです。お客さんを増やすためには経営者して当然のことです。私が経営者であってもそうします。
 しかし、年がら年中消毒をやっているわけでもありません。現代は新ベラの購入コストがとても高くなっていますので仕入れたヘラを長持ちさせることが経営としてはとても大事になっています。
 ですから私が池の経営者であったとしても、同じような作業をするわけですし、そのことによって結果的にヘラの動きをコントロールできると思っています。
 そのような事情をすべて承知しているということが数釣りを楽しむヘラ釣り師には必要なことではないのでしょうか。であれば、ヘラのご機嫌が良い日を選んで釣りに行くか、あるいは機嫌の良し悪しをコントロールされているヘラをいかにして1枚でも多く釣り上げることが出来るか、という選択肢もあると思うのです。これはヘラ釣りを楽しむ醍醐味の一つです。
 私が「ヘラと勝負する」としていることの意味は、管理されコントロールされているヘラをいかに1枚でも多く釣り上げられるかという釣りだということです。
 このことは大規模な池と私が通っている池とではコントロールされているヘラの機嫌がかなり違っていると思っていますので、私の場合はより厳しい釣り場条件で釣りをしていると思っています。
 そういう意味ではいま通っている二つの池がヘラ釣り師としてのチャレンジがとてもやりがいのある池だと思っているわけです。それぞれ条件が違うからです。
 そんなこんなで真冬の時期でさえも「雪が降る、雨が降る」と言えば喜んでヘラ釣りに出かけてしまうという日々を過ごしているのです。
 手帳に書いた過去12年分の釣行データをにらみながら日程調整に明け暮れているわけです。
2017年2月23日(木)
その116. ヘラ釣りのコスト
2017.2.23
 遊びをするとどうしてもお金がかかります。釣りの場合は海釣りが比較的に高くつき、ヘラ釣りはわりとかからない方です。
 私などの場合も、現役のときは小遣いなどもわりと自由になりましたので、海、船、渓流、野釣り、ヘラなど誘われるままにやってまいりました。
 費用計算しますと年間100万円以上は釣りにつぎ込んでいたと思っています。この点は人さまざまで、釣りが出来る環境というものがありますし懐具合も違いますので一概には金をかければいいとは言えません。ただ言えることは、若い人たちはいろいろな釣りを経験していた方がよい、というのが私の考えです。年を取ってからの釣り人生にきっと役立つことが多いと思うからです。
 ですから費用対効果ということで、いかに少ない費用で釣りを楽しむかということになります。
 この点は現役を引退した時点で一気に問題となります。私の場合もそうで、現役の頃から釣り物を徐々に絞って縮小してきました。残したものはハゼ釣りとヘラ釣りでした。これは懐具合と体力の事と二つありました。
 最近ではヘラ釣りに重点が移っています。主に体力の問題です。それとヘラ釣りはハゼ釣りに比べてコストが少なくて済むという点もありました。もちろん、遠征をするとかとなりますと交通費などもばかになりませんのでヘラ釣りでもお金はかかります。
 そこで近郊の釣堀での釣りということにしたのです。釣堀の場合は池によって入園料が違いますがこれは仕方がありませんが、大概は大体同じような金額です。
 拝見していますとよく会話で耳にすることですが、ウドンエサを愛用されている方々は、エサの費用が少なくてよい、とおっしゃることがあります。
 たしかに私のようにダンゴエサを愛用する場合のエサの使用量と金額はウドンエサの何倍にもなります。ウドンエサは確かにランニングコストは安く上がります。これも釣り人の智恵とでも言えると思います。
 ヘラ釣りの道具は確かに値段も高くいいものが多いですが、一度揃えてしまえば長く使うことが出来ます。流行を追わなければよいのです。新エサがでるとすぐにそれを使う人もおられます。釣れるかもしれないと思うからです。最近の私はそのようにならなくなりましたが昔は結構釣り道具店とか釣り餌メーカーに釣り人である私がいっせん先に釣られてしまっていた状況でした。ヘラを釣る前に釣り人の私が入れ食いで釣られてしまうわけです。
 釣堀の釣りでは入園料を払って遊ぶのだから「釣れて当たり前」というのが「釣り人」の心理です。一般的にはそうです。ところが釣堀の人がお客さんにヘラを釣ってもらって楽しく遊んでいただこうと思って準備していても「釣り人がいっこうに釣ってくれない」という現実もあります。こちらは釣り人の側の問題であって池の問題ではありません。
 面白いもので釣り人は自己中で考えますので、魚が少ないとか池の管理がよくないとか、いろいろと思うわけです。このように考えるのはごく普通ですが、私などの場合は、自分のウデがヘラに劣っているのだ、という風に思ったのです。ですから、「ヘラと勝負する」というのが私の場合の変わらぬ意識ですし、ヘラ釣りの姿勢です。
 これはハゼ釣りなどの場合がそうでした。一日に千尾釣れないものか、と思ったことをきっかけに「ハゼと勝負する」という意識になった訳です。ヘラの場合も同じです。
 ダンゴエサ、底釣り、バランスの釣り、サオ10尺、春夏秋冬一日100枚を狙う、という設定でヘラと勝負したわけです。 
 ヘラ釣りの楽しみ方は釣り人が10人おられれば10人全員違います。面白いものでこれは確かです。釣りというものは「ご本人が楽しい」と思えればそれでよいからです。「楽しい」と思えない事情というものの一つが「ヘラが釣れない」「アタリがない」ということです。古くて新しい命題です。
 一年の間にはヘラの機嫌が極端に悪い時もありますので、その日に当たってしまったらどうあがいてもヘラは釣れません。釣りはそのようなものです。
 ですから釣れない時は「ヘラのせいにする」のが一番よいのです。あきらめきれない時は性懲りもなく通うことになります。
 ある人によってはリハビリのために釣堀に来るという人もおられます。他の釣りに比べて危険の度合いが低いからです。家族などの送迎付きという方もおられます。私も将来はそのようになるのかもしれませんがその方々を拝見していますと、頑張って楽しく過ごして下さい、という気持ちが湧いてきます。そのような方がヘラを釣り上げて喜んでおられる姿を拝見しますと私も本当にうれしいです。
 ヘラ釣りのだいご味の一つがヘラの口の上唇のど真ん中にハリを掛ける、ということがあります。ですが、年配の方のハリがヘラのどの部分に引っかかっていようがそれはどうでもいいのではないでしょうか、というのが私の見解です。要は「ウキが動いて」「ヘラがハリに掛って釣れてきた」ということが大切なのです。
 その事によって体が少し不自由になった方々でもストレスが発散できて楽しかったという気持ちになられればかかったお金は十分に役割を果たせたと思うのです。
 ヘラと勝負して勝った負けたと思っている私などはまだまだ青二才の部類に入る釣り人なのかもしれません。
2017年2月13日(月)
その115. 冬眠
2017.2.13
 もう90歳を越して釣りには出てこなくなりましたが、私のヘラ釣りに火をつけた人は11月を過ぎると冬眠とおっしゃって3月のお彼岸過ぎまでは休釣するのが例年のパターンでした。
 年寄りですので誘わなかったのですが、まあ、いろいろと原因はあったようです。
 その人の服装を見ていると今どきの私たちのような出で立ちではなくて、作業着にジャンパーというスタイルでした。本格的な防寒服は持っていませんでした。これが一つ。
 私などは貼るカイロをお腹と腰、両膝のちょっと上、背中、と5枚を使用、両腕の肩口に小さな貼るカイロを1個ずつ、靴下の土踏まずの所に小さなカイロを貼る、ということで、これだけ貼れば手先がいつもホカホカとしています。靴下も重ね履きしています。
 もちろん、下着も2枚重ね着して、その上に釣り用の服に使っている作業着を着て、その上に防寒服を来ます。頭には帽子とその下に被りネットを被っていますから頭も寒くはありません。首の所は顎の下までのネックをつけています。それでテントに入っていますので水面が凍るような日でも寒さはほとんど感じないで釣りができます。
 90歳過ぎの私の連れの人はその点での防寒対策が不十分だと感じました。このことは現在でもヘラ釣りをしている人を見ると手が凍えている方をかなり見受けますので対策が足りないと思うのです。
 90歳を過ぎますと家族が真冬は心配して、血圧とか、その他もろもろ配慮して引き留めるのだと思います。この点はよほどに釣りが好きであるか、ということがポイントで、釣場でアクシデントがあっても本望というくらいの気持ちがありませんと真冬の釣りはなかなか出かけられません。緊急連絡先と書いた名刺を所持しています。
 もう一つはその方の釣りが真冬向きではないということがあります。どうしてもウキが大きいとか、エサのダンゴがカチカチとか、エサ付けが大きいとか、があります。ようするにアタリが出せないということで冬眠するわけです。
 やはりある程度若い人でも、例えば60歳代とかの方でも、釣場で拝見していますと1月2月の釣行がとても少なくなっていることが分かります。つまらないからです。この点は私でも同様で釣れないとつまらないわけです。私の場合などは真冬で50枚目標ですので20枚ほどまでは辛抱が出来ます。これが2枚とか、となりますとプッツンするわけです。
 これまで12年間の釣堀の実績でもやはり1枚2枚というのはとても少ないわけで、大概は20枚前後は釣ります。いいときは50とか60とか釣れるわけです。ですから最近はヘラと勝負するとは言っても午前中3時間釣って1枚とか、昼までに2枚とかいいますと、昔と違って夕方まで頑張るという釣りを放棄するわけです。明いた時間を別の事で有効利用しようと考えるわけです。過去の実績からして天候水温日並など好条件になっているのに10時になっても食いアタリもでないとかになりますと、原因究明をしてもどうしようもないわけですから、さっさと道具を仕舞って早上がりをしてしまいます。宿でどうしたの、と言われても、私の釣りが本日は合わないみたい、とか、ヘラのご機嫌がかなり斜め、とか言っています。
 そんなこんなでこの頃は早上がりが多いです。昔と違います。本日2月13日もそのクチです。6時半〜10時まで釣ってゼロ、食いアタリなし、ということでした。これは私の釣りというか技術の劣化ということも考慮に入れなくてはならない年齢になってきているとも思うのですが、何とも悔しいことではあります。心の中では、おかしいではないか、と思うわけです。
 このような日の釣行記はここ最近ではアップしないことにしています。昨年暮れに50とか70とか釣っていたのに突然に半日で2枚などと、これは突然にそうなるわけで、原因は様々なのでしょうが、釣果としては事実の通りにアップしたところ、私の日誌の情報から釣り会の例会をキャンセルしたグループがあったのだそうです。そうなりますと、釣堀にも気の毒ですので、1枚とかしか釣れなかった時のアップを躊躇するようになりました。
 その代り釣れているときは、釣れた釣れた、と私も嬉しくてアップしますので、こちらの方はそれでよいかと思っています。
 それから冬眠の件ですが、冬眠をする人は、全員ではないですが、真夏の釣りを避暑と称してやらないことがあります。これは単に暑さだけが問題の事もありますが、もう一つ、ヘラが水面で真っ黒になって背びれを出して泳いでしまうということがあって、嫌気がさして秋の彼岸過ぎまで避暑ということで釣りをしないことがあります。対策を放棄して休釣してしまうわけです。まあ、これも一案でしょうか。
 結果として冬眠と避暑と両方をしますと、春秋のシーズンだけの釣りということになります。この季節はヘラの活性も高くアタリも活発で、上ズリも少なくていい季節だと思います。ただ、釣りずらい季節に100枚を釣ってみたいという気持ちは捨てがたいものがありますので、性懲りもなく通っています。
 私も段々と歳を重ねていますので、真冬でもよく釣れる釣堀なども探しみようかと思っているところです。
2017年2月7日(火)
その114. その日その時釣れた人が名人
2017.2.6
 私が思う名人とは、その日、その釣り場で、目的の魚を一番たくさん釣った人のことです。タイトルを持っているとか、ベテランだとか、釣り会の幹事だとか、平均釣果がダントツだとか、そのようなことは関係がないのです。
 釣りに通っていますと、ある時突然に自己最高釣果を出すことがあります。幸に周囲の人すべてに勝る釣果ということがあります。それが例会などですと大番狂わせで一位ということになります。
 このような経験は私にだってあります。私がヘラ釣りの道具を揃えたのは今から28年も前のことです。その後の13年ほどはお付き合いのヘラ釣り程度でした。ヘラ釣りの会の例会がありますと声がかかりましたので「客分」としてその時だけの会費を払って参加しましたが「参加することに意義がある」とか「上位者に対する寄付者」程度のウデでした。鈴木さんくるの、いただぁき、悪いね、とよく言われました。その程度のウデでした。
 あるとき、印旛水系のホソで野釣りをする日がありました。ヘラ、マブどれでもよい、鮒ならなんでもあり、という例会の日でした。乗用車十数台で行ったのは10尺のサオでは仕掛けが対岸へ届いてしまうという農業用水路(川)でした。
 事前に場所は聞いていましたし水深は2mもない浅場だし、どうせマブナがほとんどの場所だと思いましたので、いわゆるドンの仕掛けを作りました。これは釣具店に行って中通し仕掛けを二種類買って持っていきました。エサはイモグルテンで決め打ちしました。
 ドヤドヤドヤと釣場に連れて行かれて幹事がこの辺でやるから適当に座ってやってと放り出されました。何人かは下見をしていたらしく俺はこっちとかあっちとか言います。黙って聞いていて仕度を適当にしながら幹事たちが座ったのを見てからよいしょと腰を上げてちょっと離れたところへ行きました。これは釣りのテクニックの一つです。
 私はマブナ釣りを赤虫とかキジ(ミミズ)とかで随分と釣りましたが、これは移動しながらマブナを探して歩く釣りで、ヘラ師に交って一ヶ所に腰を据えて全く動かないで場所替えもせずに生き餌以外のエサで野釣りで鮒を釣ったことがありませんでした。釣り会のメンバーからしてみれば私はイタダキの参加者だったわけで、間違っても上位には入らないと思っていたとあとで言われました。
 私としてはイモグルテンで釣るのですから生き餌と違って「鮒をおびき寄せて釣る」のだということくらいは理解していました。そこでエサをつけてひょっと振ってウキが立ちますと一二三で上げて、を10回以上やりました。周りの人に見えないようにそっとやりました。振り込みを20回ほど数えてから今度はじっと待つことをしました。ドンの仕掛けですからウキは戻ってきません。風とか流れとかでトップが少し沈んでしまうことはありますが上に上ってくることはないのです。ウキが上がってくるのは食い上げしかないのです。2分ほど待って打ち返しました。
 1時間は経ったでしょうか、1匹目が釣れました。ズズッとウキが沈んだからヨイショッと上げただけです。ドボンの仕掛けですからズズッと沈めば完全に口の中にハリが入っています。ですからあわてなかったのです。そこがバランスの釣りとは違います。鮒は立派な銀ブナと金ブナです。丸々と太っています。
 私は黙ってもくもくと釣っていました。そのうちに幹事をしていた人が見回りにやってきました。私の釣果を見てびっくりして素っ飛んで行きました。
 検量結果は私が一位でした。これは誰もが考えていなかった大番狂わせだったのでした。幹事の一人は某新聞社のインストラクターでした。その人を負かしたのです。
 こんなことは釣堀の釣りでも言えます。大番狂わせはいつでも起こり得るのです。
 これはどのようにしてそのような現象が起きるのでしょうか。私が思うには、丁度その日の釣り場の環境にその釣り人の釣りがマッチしたということです。普段はトンチンカンな釣りをしていると周囲から思われていたとしても、その日だけはその人のトンチンカンと思われている釣りがその日のヘラのご機嫌にピッタリの釣りだったということです。
 ですから私などは一日100枚などと目標を立てて釣っていたとしても、あるとき「突然に」100枚を釣ったわけです。いつもは20枚、50枚、15枚などという釣果のときにいきなり100枚などと言う釣果を打ったわけです。これはとんでもない釣果でした。100枚釣ったなどといっても誰も信用してくれませんので黙っていました。言わない方が良いのです。ただひたすら釣っていてそれを見ていた誰かが理解してくれるまで黙っていたわけです。
 ところが1回100枚釣った後、またまた釣果が低迷していました。原因は自分ではよく分かっていました。100枚釣れた、という現象を、再現できないでいたのです。そしてまた試行錯誤していました。これを私は「再現性」と表現しています。
 そこで次の目標として、いつ釣りに行っても100枚を狙える釣り、ということにしました。これは100枚を釣ったという釣りを「再現できるかどうか」という課題でした。
 釣りは趣味ですが、私の場合は趣味を通り越してのめり込んで、多分「道楽」なのだと思います。釣りから得る金銭的な利益は一切ありません。
 ヘラ釣りの上手な方はたくさんおられます。その道その道で理論があり上手です。少なくとも私はバランスの底釣りで一日100枚を釣る、という釣りになっています。いつ釣りに行ってもこれは変わりません。ただ目標に届かないだけです。これが私の現在のヘラブナ釣りなのです。ですから自分の楽しみだけで釣っていますのでその点だけはわかっていただきたいと思っています。
2013年1月13日(日)
その113. 100を追う
2013.1.13
私のヘラ釣りは暫時進歩して、ここ
2年ほどは、真冬でも100枚を狙う、という釣りになってきました。ところが2013年は「異変」をきたしています。

 真冬といいますと一応は1月と2月の釣りということになります。

 記録では2010.1.27127枚を釣ったのが最初でした。20111月は実績がなく、2012.1.21120枚となっています。

 2月の実績としては2010.2.26155枚、2010.2.16121枚、2011.2.23135枚、2012.2.24149枚を釣っています。

 以上の記録と比較して20131月は極めて悲観的な予測しかできないのが現状です。というのは、100枚以上を記録した過去3年間の1月、2月は例え100枚に達することが出来ないときであっても釣果が75枚とかということは何度もあったし、とくに1月の50枚未満の釣果は20102012年の3年間で12回しかありません。残りの16回は50枚以上の釣果でした。それなのに2013年はすでに50枚未満が4回もあるのです。これではここ4年間での1月の釣果の最低記録を更新しそうです。

 その原因をいろいろと思案してみますと、思い当たることがひとつあるのです。

 私は釣りに関していつも申上げるのですが「魚がいなければ誰が釣っても釣れない」ということがあります。

 これを別の言い方にしますと「釣れてくれる魚が少なければ100枚には届かない」という意味にもとれます。

 このことを殊更にいまになって申上げるのはわけがあります。

 私が通っている水光園では、2012年秋に「ガリベラ」の排除を実施して、それがいまも続いている様子なのです。

 ガリベラが早く口を使ってしまうので良型ヘラがなかなか釣れてこない、ということを解消するために@ガリベラを排除するA排除した分だけの新ベラを放流するということを実施したのだそうです。

 このことは数字の上ではトントンとなるはずでした。ところがどのような現象が生じているかといいますと、釣り人の釣果のダウンがとても激しいということです。とにもかくにも「釣れなくなった」ということがあります。それは私一人だけの思い過ごしではなくて、他の人たちも言っていることです。水光園はこんなに釣れない池ではなかったのだが、という言葉で言っています。

 このことは201211月からの私の釣果でも顕著に表れました。11/22 8811/27 9611/28 8911/30 10612月になってからは5190枚ということでとうとう100枚を逃してしまいました。

 水温が2012年よりも低いことは承知していますが、そのことをいまになって騒ぎ立てるつもりはありません。それはいまの季節としてはあたりまえのことだからです。かえって、池の水面が氷結しないことを歓迎しているくらいです。ということは氷結してしまった低水温の日の2012.1.30 38枚とか、2012.2.6 67枚などのように釣れていたからです。池の水が凍ったその日の釣果です。

 ですから季候的な条件を取り除いたものを考慮しますとどうしてもガリベラを大量につまり1000枚以上の数字で排除したということ、それがいまでも続けられているのではということを考えますと、そのことが私の100枚に挑戦するときの障害の一つになっているのではと思ったのです。

 もちろん釣り宿の営業方針がありますので、そのことに異議を申上げるわけではありませんし、そのような魚の入れ替え作業という努力をしていることを「歓迎する気持」すら正直あるわけです。

 ただ、現実として私の真冬での100枚釣りという目標に対してのある意味一つの新たな壁が出来たと思っています。

 これは私の技術的な「退化」ということも深刻に検証しなくてはいけないのではないのかという気持まで持ちました。

 しかし、新しい条件というものが目の前に出されていることも現実ですので、このような過去7年間にはなかった状況というものを克服していく道がかならずあるのだという気持も湧いてきているのです。

 今後は1月下旬になりますと例年ですと水温の上昇がはっきりとしてきます。水光園では例年1月中旬がもっとも水温が低いというデータが私の手帳からは読み取れます。

 そうであれば、もうすこし気長に水温の上昇を待ちながら、そうすれば「釣れてきてくれるヘラのご機嫌がもっとよくなって」釣果のアップのアップになると思いますのでポチポチと研究していればよいのだと思えるようになってきました。

2012年8月3日(金)
その112. ウキとオモリ
2012.6.24
 シーズンを通じて、やはり、一番「苦労して」ヘラを釣っているのは、私としては「夏場の季節」の釣りです。
 原因は、どうしても、ヘラが上ずる、という現象が多いからです。もう一言付け加えるとすれば、「油断をすると」ということがあります。
 そのように、6〜8月の季節は、@水面へヘラが出てくるA中層でヘラが振込みのたびにエサに触るBウキのナジミが浅い、等々の現象があります。
 これらは「釣り人泣かせ」の現象です。途中で「嫌になって」釣りを中止して帰ってしまう人だっておられるのです。
 ときには「休み休み釣りをする」という方も見受けます。これも対処法の一つだとは思います。チヨコッチョコッと何枚か釣って、ちょっとの間振込みを休む、という繰り返しで釣りをするということです。
 私の場合もそのような方法を織り交ぜることもあります。これは「頭を休ませる」という意味があるからです。頭の中は上ズリ防止の釣りを続行するために、どのような状態のエサを付けたらいまはベストかとか、どのアタリを合わせたらいまはいいのかとか、「釣りながら頭はフル回転している」ワケです。それがときどき「ショート」するわけです。あ〜、もう〜、ヤダ、というように、瞬間的に「切れる」ワケです。別の表現をすれば、「頭にきちゃう」のです。ヘラが思い通りのアタリを出してくれないからです。
 どうしても水温が23℃とか25℃とか、それとこれからはさらに上がって28℃とか30℃とかになりますと、どうしても先ほどの@〜Bの現象が多発するわけです。多発するといいますと、これを例えば4年前とか5年前とかと比べて見ますと、そのときのほうがそのような現象がずっと少なかったと思えるのです。そのときと現在とを比べてみますと、ひとつだけはっきりと言えることがあります。それは池に放流されているヘラの数が昔よりは今のほうがずっと多いのだろうと私には思えるからです。これは私が足掛け8年間水光園で釣りをしてきた実体験としてそのように思えるのです。
 ですから、ヘラの数が昔よりはずっと多いということであれば、私の場合はそれらの現象は「もう仕方がないものだ」という認識で、それを前提とした釣りをしているワケです。
 それは何故かといいますと、「一日に100枚を釣りたい」という願望があるからです。私の過去7年間の実体験では、先ほどの@〜Bの現象がまったく出ないようなエサ作りをしますと、どうしても夏場に1日で100枚という釣りにはなりにくいのです。どうしても60枚とか80枚とかで終ってしまうのです。これは私の現在の限界なのです。
 ちなみに、4月などは@〜Bのようなことはまったくなくて、自己新記録の222枚とか、190枚とかの釣果を打っているのです。
 それが季節が進むにしたがって、だんだんと「釣りづらくなって」、「入れ食い」を持続できませんし、堪能することも出来ないわけです。ただただ、100枚に到達するのに「汲々と」するのです。
 このようなことは私の釣技の現時点での「限界」でもあるわけです。
 その原因のひとつとして、エサのブレンド内容を「変えない」ということもあると思っています。(ダンゴの冬100cc+ダンゴの夏100cc+ヘラスイミー100cc)+(水150ccあるいは160cc)+(バラケマッハ100cc)の材料でブレンドします。水を加えてからマッハを混ぜるまでの待機時間を何秒にするかということが一つ、練るか練らないか、ハリにつけるときの握りの強さ具合、小分けしたエサを強く握るか握らないか、左手を湿してから小分けしたエサを握り締めるかどうかという水分調整をするかしないかその程度問題、エサをマン丸につけるかそうでないか、大きくつけるか小さく付けるか、夏冬マッハなどを小分けしたエサにまぶし粉として降りかけてそれを練ったり潰したりして使うかどうか、あるいはペレット系のエサをまぶして使うか等々いろいろと変化があると思います。これらは「ヘラの動き」を見ながら手直しをして使うわけです。もちろん先ほどの@〜Bの現象をできる限り少なく抑えて釣りを続行するための方策です。
 釣り人によっては、更に、ウキを大きくする等々で結果として、オモリをたくさん使用するウキに替える方もおられます。つまり、「一瞬でも速く沈めたい」ということです。そうすれば、途中のヘラが、エサにアタックするヒマもなくウキが立つ、という寸法です。
 これも一理あると思うのです。私だって、たくさんのウキを持参していますので、ときには、より重いオモリを使うウキに替えることだってあります。これは臨機応変に度々あるのです。みなさんが「それに気付かない」だけのことです。ウキ交換は30秒で実施しているからです。あっという間です。ヘラの動きが変化したら即座に元のウキに戻すわけです。
 先日のこと、知り合いの常連さんが帰り際に私の釣りをご覧になっていて、ちょうどそのときに、いい具合にウキがしっかりとなじんでいたのです。水面にヘラの姿もありませんでした。その方いわく、鈴木さんのウキ、オモリが自分の5分の1しかない、とおっしゃるわけです。私もオモリを外して手の平に乗せてお見せしたのでした。
 私はそのときに、「今の時季からそのような重いオモリをつけていたら、7月とか8月とかはいったいどのようなウキを使うつもりなのですか」と言ってしまいました。
 ヘラの上ズリを防止するために、仕掛けの沈下速度を早めるということでオモリをたくさんつけるウキに替えるということは一つの手段でもあるわけで、それを私は否定するなどしないどころか、自分でもそれをしているわけですが、私の場合とその方の場合とでは、そのようなオモリの量が私の5倍も多いウキを6月の14日ころの時点で使っていると言うことでしたので、瞬間的にこの先どうするのですか、という趣旨の発言なってしまったわけです。
 やはり、私の場合は、出来得る限りエサの手直しといいますか、使用しているエサは基本的に変えないで、そのエサの使い方をシビアに変化させる事で対処するということを基本としているわけです。ですから、私のオモリの量はみなさんよりは大分少ないのではないかと思っています。それでどうしても上ズリということになるような徴候があるときに、オモリの量がより多いウキに替えて「一時的に対処」して、様子を見て、また、元に戻す、という釣りをしているわけです。
 皆さん方の釣っているのを拝見していますと、オモリはかなり多いウキを使っておられますが、やはり、途中で持っていかれるとか、ナジミが出ないとか、いろいろと苦労されている様子なのです。ということは、エサの使い方をもっと違える必要があるということです。別の方法としては、別ブレンドのエサに替えるということです。つまり、「よりヘラが寄らないエサ」というブレンドということです。
 夏場のエサ作りは、「ヘラを寄せすぎないエサ」という考え方があってもいいと思うのです。ところが、その実践と、ご自分の釣果目標とがミスマッチということがけっこうあって、釣果に満足できないということもあるようなのです。
 私の場合はもっと極端であって、「一日に100枚を釣りたい」という願望がとても強くて、「ヘラが寄り過ぎないエサ作り」ということをやりますと、どうしても100枚に届き難いという「結果」になることが「多かった」ワケです。
 そんなこんなで、ヘラを上ズラせたくないし、かといって、100枚は釣りたい、ということで、エサ作りから、使い方から、アワセのタイミングから、ウキの交換から、ヘラの寄せ方から、諸々のことを、テストしながら釣っている現状です。

その111. 一本バリの釣り
2012.6.10
 私はときには一本バリの釣りをします。
 ハリ一本でヘラ釣りをするのは邪道だとか、常識外だとかという論法もあるかと思いますが、私はそのようにはまったく思っていません。逆に、三本バリのヘラ釣りですらあってもいいと思っているくらいです。何で二本バリでなくてはいけないのだろうかと思うくらいです。
 と言っても、始めから何が何でもハリ1本の仕掛けでヘラ釣りをする、ということを主張するつもりもありません。
 5月6月ころのヘラ釣りのときは、「ヘラが寄りすぎる」という現象が起こります。これはどなたもが経験すると思うのです。
 甚だしいときは、水面が「真っ黒になる」あるいは「背びれを水面に出して泳ぎ回る」ということになってしまいます。
 このように、目で見てヘラが水面近くに寄っていることがわかると言うことだけではなくて、ウキのナジミがでるまでの間に、底までの中間でヘラがエサにアタックしているのが分かるということがあると思うのです。
 それらのことを辛抱してウキのナジミが出せたとします。このことが前提です。その後は「自分の待っている食いアタリ」まで辛抱強くいろいろなウキの動きを「見逃して」、「必殺のアワセ」ということになるでしょう。これは大方の人がそのような似たような経過であわせていると思います。
 このようなときに、折角待っていたのに空振りだったり、スレ掛りだったりということは大いにあります。
 私の経験としては、いまの季節は二本バリの仕掛けで「下バリだけがなくなって」しまっているということが一日のうちに何回かはあります。これは不思議だと思うのですが、下バリがとられてしまうということが多いわけです。
 そのようなことが起きる場合というのは「ヘラの寄り方が凄い」という状況のときだと理解しています。ヘラがたくさんウキの下に、底に、集っているということは、少なくともそのときの時点では、釣り人としては「それ以上にあえてヘラを寄せる必要がない」ということだと、私は考えるわけです。つまり、ヘラの動きを沈静化させる、あるいは、コントロールする、という釣り方が必要だと思うわけです。
 もしそれが的確な状況判断であるとすれば、仕掛けはどうしても二本バリでなければならないということはないと思うのです。極端なハナシとしては、私は、二本バリのうちの上バリだけにエサをつけて、下バリは空バリのまま振り込むということすら実行することがあるのです。
 そんなことで、私の場合は、ウキの動きが激しくて、片方のハリを取られてしまうようなときは、残ったもう一本のハリを取り替えずにそのままの状況で、つまり残ったハリの「一本バリのままで」「釣りを続行する」ということを実行しています。
 この場合のアタリの出方はとてもシンプルです。モジモジと動いていて20カウント以内で「ズン」としっかりと入るアタリが出ます。それを待っていてあわせればいいのです。注意点としては、ハリが一本ですから最初の食いアタリで必ずあわせるということです。この部分が二本バリに両方ともエサをつけているときと違うところです。
 二本バリの場合は、「最初の食いアタリ」と思われるアタリを見逃してしまったとしても、エサは二つついているわけですから、次のアタリを待てばいいわけです。
 ところが一本バリのときは二回目の食いアタリを待つ根拠が薄いわけです。
 そんなこんなで、一本バリの場合のアタリのとり方は「最初のアタリ」であわせるということだと思っています。経験から申し上げますと、一本バリの釣りで2〜4枚を釣り上げますと、ちょうど、そのくらいの時間感覚で、つまり、2〜4枚釣るということは、振込みとしては5回とか6回とかしているわけですので、通常であればハリが二本ですからエサも2個ついているのですが、一本バリの時はエサの量が半分しかないわけです。ということは3枚釣ったとしても、寄せエサとかバラケエサとかの役割をするもう一本のハリのエサ、つまり、ヘラを釣り上げなくてもよいというエサ打ちがゼロなわけです。一本バリなのですから。なおかつそれで釣ってしまうわけですから。
 これが何を意味するかといいますと、ウキの下にコントロールでき難いほどに集ってしまった「ヘラの活性をセーブするエサ打ち」になっているということだと思うのです。
 大方の釣り人は、ヘラが寄りすぎたと判断したときは@トイレへ行くA友人の釣りを見学に行くB休憩する等々で「エサ打ちを中止する」という行為をします。あるいはCエサを替えることをします。
 私の場合はD一本バリの釣りをするということをするわけです。
 この釣りというのは意外と効果があって、ハリを一本とられてしまったときに、すぐに二本バリに修復するのではなくて(ヘラが寄り過ぎているという判断が前提としてある場合ですが)、残されたハリ一本の状態でヘラ釣りを続行するということであって、寄り過ぎたヘラの状況ということが徐々に緩和されてきているということが釣りをしていて分かるわけです。
 それが一本バリでヘラを何枚釣った段階でヘラの寄り方と動きがそのように沈静化するのかということについては、これはいろいろだと思うのです。一本バリでのアタリの出方が少なくなった時点で自分で切り替えの判断をするしかないと思っています。
 下バリ一本で釣るときと、上バリ一本で釣る場合とでは、ウキのナジミも違いますし、アタリのパターンも違います。これは実際にやってみればすぐに分かります。
 このように一本バリでのアタリのパターンといいますか、アタリの出方というものが少しずつ分かってきますと、二本バリの場合のアタリをより理解できるわけです。二本バリにエサをつけて振り込んでナジミが出た後で、まだまだ、二本バリにエサが十分に付いていると判断できる時間の範囲内でのアタリで、これは下バリに出たアタリとか、いや、これは上バリのエサにあたったものだとかいう「見えているような感覚」といいますか、だから、二度目のアタリを待とう、という待ち方が出来るわけです。
 これとは別に、「二本バリの仕掛けを一本バリの仕掛けのように使う」という「エサ付けの方法」があるというハナシを拙書『HERA100〜本気でヘラと勝負する〜』の中で論じているわけです。
 本稿は正真正銘の一本バリの釣りということを書いてみたわけです。
2012年4月23日(月)
その110. 大中小がいていい
2012.4.23
 私はミニヘラと呼んでいますが、10cmとか15cmとかの小型のヘラが釣れてきます。ときには手の平大で20pほどのものもいます。これらのヘラはもともと新ベラの放流サイズではないと思いますので、水光園で生まれて水光園で育ったものだと思えるのです。
 魚体は小さくてもヘラはヘラですから一人前のアタリを出してくれます。このところヘラの産卵シーズンでしたので水温もそこそこに高くてミニヘラの動きもかなり活発でした。
 ミニヘラのアタリと通常サイズのヘラのアタリは見分けがつきません。少なくとも私の場合はかなり空振りをしています。
 ミニヘラが釣れてくるときのパターンはエサが小さいときです。または小さくなったときです。それと固めのエサではなかなか釣れてきません。そのような経験から見ていますと、ミニヘラをダンゴでよく釣る人の「釣れてくるときのエサの状態」というものが推測できるのです。そのようなエサであの人は釣っているのだなと思うのです。あるいはそこまで待っているのだなと思うのです。
 私の場合はどちらかといいますと「空振りをした方がいい」というタイプです。大型のヘラが寄ってくる確率が高くなると思うからです。つまり寄せエサ打ちという考えです。
 そんなわけでここ数回の釣行では、朝一番の1時間ほどの時間は大型ヘラの「寄りが完結」していないと思えることが多くて、かなり空振りをしています。よくて1時間に10枚程度のペースです。ひどいときは3〜5枚ということもありました。
 それも2時間目3時間目にはアタリも一定してきて、私の望むアタリも頻発するようになって、1時間に12〜15枚というペースに「回復」します。半日を通すと時間平均10枚ちょっとということです。このようなことが何回か続いて「昼から勝負」ということが多く続きました。
 午後からのペースを期待するということは午前中のペースでは100枚に届かないということです。とくに最近は釣り座85番など午前中は「日陰」になっている場所に座っていますので、気温も水温も85番側は対岸の39番とか55番とかなどよりは低いだろうと思うのです。実際に防寒服を手放せない寒さの釣行が続いています。
 天気がよくて太陽が出ているときの午後からの釣果はばつぐんによかったです。午後からも曇り空のときは食いが爆発しない日がありました。
 こんなことは一種の「験担ぎ」だとも思うのですが、実際は私のエサ合わせの対応を失敗していたのかもしれないのです。それを天気のせいにしたわけです。
 ハナシを戻しますが、ミニヘラを「毛嫌い」する人もおられます。それはやはり「ヘラを釣りに来た」からであって、ミニヘラなど眼中にないわけです。そんなわけでミニヘラを猫に食わせてしまう人と池に放流する人とに分かれます。私は放流組です。
 もう一つ嫌われ者と言えば「ジャミ」と呼ばれる「クチボソ」類です。この魚類を退治するためにブラックバスを放流しているようですが、なかなか絶滅までは行かないようです。さすがの私もジャミは猫のエサにしています。
 ということは私たち釣り人もジャミを相手にする必要もあるわけです。このジャミのアタリはよく見分けがつきます。ウキを上げたり下げたりしますが、力強さが全くありません。なぜジャミだと分かるかといいますとハリ先にキラッととても小さく光るウロコがときおりついてくるからです。
 これらのミニヘラとジャミの相手をしている間はヘラが釣れてくるペースはポツポツです。私がポツポツと言いますと知り合いの人は自分にとっては入れ食いということだとおっしゃる方がおられますが、実際にポツポツということです。よくて時間7〜8枚です。
 やはり現象としてはミニヘラやジャミが多いと感ずるときはヘラのペースが上がらず、ヘラがドンドン釣れてくるようになりますとジャミやミニヘラと思われるアタリが減少します。
 そのような経験から私の釣りとしては積極的なエサ打ちという形をとっています。
 つい先日のこと、私の左隣りで釣っていた方が「ザリガニ」を釣りました。真っ赤なザリガニです。その方はそのときはトロダンゴと髭トロなどを使っていました。
 それを拝見していよいよザリガニが動いているかと思いました。2011年のザリガニ釣りは一日で40尾ほどというのが最高で昨年の最初に釣った2月から11月いっぱいまでで250尾以上は釣ったと思います。自称ザリガニ名人と名付けたほどでした。
 ザリガニのアタリはジャミと似ていますが、もっと、モゾモゾという感触とかズズッズズッと引き込んでいく動きとかウキを横に引いていく動きとかがあります。クチボソなどのジャミのような単純なウキの動きではないわけです。ザリガニのアタリはできるだけ待っていて釣り上げるというのが最も確率のよい捕え方だと思っています。ですから、ザリガニか、と思ったらそのようにしています。ザリガニの口の中にハリがしっかりと入っているということが半分以上の確率であります。
 ザリガニの場合は「捕えてしまわない限りヘラのペースが上がらない」という特徴があります。しかも場合によってはザリガニが2尾とか3尾とかが続けて釣れてくるわけです。
 ヘラのアタリらしいミニヘラのアタリ、ジャミのアタリ、ザリガニのアタリとアタリの種類は豊富で、これから本格的な暑さの時季に向って釣り人の「イライラ」が増すばかりです。
 そうはいっても、釣り堀といえども「自然の池」に近い環境ですので魚種もいろいろとあっていいのだろうと思っています。入園料を払ってザリガニやクチボソを釣ってもどうかと思えますが、ミニヘラを含めて大中小の魚がいてアタリもいろいろでそれを見分けて釣り上げる楽しみ方もあってもいいのだろうと思っています。
2012年3月11日(日)
その109. 定年後に打ち込めるもの
2012.3.11
 本日は2011.3.11の東日本大震災からちょうど1年になります。
 被災されて亡くなられた方々と関係者の方々には心からお悔やみ申し上げます。
 さて、先日のテレビでの報道では、2012年3月末で会社等を退職される「団塊の世代」の方々がたくさんおられるのだそうです。
 自治体では、図書館等の公共施設への来館者が増える見込みとの情報も出ていました。
 昨今の経済状況では退職したからといって「悠悠自適の生活」というものはなかなかに困難だと感じられます。
 実際に@会社等に残るA再就職するB週2〜3回程度の軽作業に従事するCボランティアをする等々、いくつかの選択肢があります。私はDとして、趣味に没頭する、を加えたいと思っています。実を言いますと、現在までの私の生活がDに相当するからです。
 振り返ってみますと、どなたもが同じようだと思いますが、学校を卒業して、上京などして、就職して、結婚して、家を買い、子を育て、管理職になり、会社や家族の為に働いてきたと思うのです。なかには会社を興して自営の方もおられたことでしょう。
 さんざん働いて、もういいのではないのでしょうか。65歳になり、70歳になり、そのような方々が、何の心配もなく悠々と老後を過ごすことができるということは、何らやましいことではないと思うのです。そのようなことが成り立たない世の中がおかしいと思うのです。
 一線を退く団塊の世代の方々自身も、ある種の意識変革が必要です。
 それは私がこれまで何人もの方々を拝見していて感じたことでもあるのです。それは何かといいますと、退職なりして悠悠自適に時間を過ごすということにある種の「後ろめたさ」を感ずるということです。
 つまり、「遊んでいる」という意識があって、それはつまり「働いていない」という意識の裏返しなのですが、釣りをするにしても、何の趣味をするにしても、「こんなことをしていていいのだろうか」と自問自答するわけです。
 働いて稼がなければ日々の生活に支障があるという方は別ですが、そうでなければ、かなりの時間をご自分の思いのままに費やすことができるという「贅沢な極楽のような生活」を満喫されればいいと思うのです。
 ここで一番の問題点は、仕事をしていたときと違って一日24時間すべてをご自分でコントロールして「自分の為に使う」ということに慣れていないということです。
 現役のときは、今日することが分かっていて、あしたが何の日か知っていました。これは管理されていたからですし、会社勤めのときはご自分の職責をよくご存知だったからです。
 退職しますと、そのようなしがらみから開放されて、「すべての時間を自分で管理する」という立場になります。その点は自営業の人はわりと楽だと思っています。これは私の経験からもそのように思えるのです。
 いま図書館などへ行きますと高齢者と思われる方々が読書席等を「占領」しています。なかには何冊もの「雑誌、新聞」を抱え込んでいる人もいます。週刊誌や新聞は「無料」で閲覧できるからです。そのうちの何人かは決まって「眠って」います。このような光景はこの10年以上毎年のように目撃しています。
 それがいけないとかという気持はまったくありません。そのような時間の過ごし方があってもいいのだと思っているくらいです。
 でも私の場合は現役の頃からしていた「釣り」というものがありましたし、「釣りを平日にやりたい」ために、そのことが早期引退の主要な動機となったといまでも思っているほどの「釣り馬鹿」だと思いますので、退職した後の時間の過ごし方については何も心配することなどありませんでした。
 問題は、引退した後の「打ち込むもの」を作っておくことが大切だと思うのです。現役のときに、仕事とは別次元のものを見つけ、手をつけて、引退後の準備をするといいのです。それが趣味であろうとボランティアであろうと、「新たな仕事」であろうといいのだろうと思っています。
 先日、現役を引退された方と釣り堀で会話したことを思っています。その方は現役のときの方が釣りが楽しかったしお金も自由になったというのです。釣り会の役員をされているようでしたが、仕事を辞めたら釣りが面白くないというのです。
 私などは釣りをやりたくて仕事を早く辞めたクチですから、釣りの障害になることはすべて排除して、あるいは、障害になると思うことから身をかわして関わらないように逃げまわっているわけです。そのなかには釣りの会の役員になるとかも含まれていますし、釣具店などでいう「自分の会を作ったら」という誘いもいっさい聞かずにいるわけです。
 そのことは郷土史関係の講演等を毎年何件かは担当していますが、やはり、鈴木さんの会を持ったらどうか、という誘いはあるわけです。それも要するに「却下」している現状です。
 人というのはさまざまで、そのような「組織」を作って「運営する」ということに生きがいを感ずるといいましょうか、そのことに「楽しみを見出す」という方々も多勢おられることと思います。それはそれでとてもいい性格をされていると私は常々思うのです。そのような人がおられなければ「釣りの会」「郷土史の会」等々の「組織」ないのだし、ましてや、釣り堀の経営者に取っては「釣りの会の幹事さん」はいいお客さんなのですから。
 たまたま私の場合は「組織を運営する」というよりも、自分自身が「プレイヤー」の立場で「生涯現役の釣り師」でいたいという希望が強いわけです。
 団塊の世代の人たちが、引退後にどのような道を用意しておられるかは知りませんが、ヘラの釣り堀で「悠悠自適の釣り」をされる方が一人でも増えるようであれば「同好の士」に巡り合えたと嬉しい気持ちになれるかと思います。
2012年3月5日(月)
その108. トップとオモリ
2012.3.5
 いつも思うのですが、私という人間は凝り性だと思うのです。
 いまは冬から春への季節の変り目ですが、ヘラ釣りに使うウキは「歌麿ウドンウキ#8」が中心です。もちろん3月中旬になって水温が15℃とかなどということになれば#10のウキが中心となるのです。
 #8のウキにしても#10のウキにしても、私はウキケースの中にそれぞれ6〜7本を入れてあります。それは釣具店へ顔を出したときに「気まぐれで」その都度買い求めた結果なのですが、実釣としても折々に使うウキが違っています。少なくとも、「私にとっては使い分けができるウキが何本か欲しい」ということなのです。
 ウキは#8のウキだとしても一本ごとに全部「ウキの性格」が違っています。これは製作者の意図しないことであると思いますが、ウキごとに浮力の違い、トップの違い(すごく微妙にです)、塗料の違い、寸法の違い、脚の太さの違い等々があると思います。
 私がいまの季節に使っている#8のウキでさえも、注文してトップを削ってもらったウキ、既製品のウキとがあります。もちろん、注文品は特注でとくにトップを先端へ行くにしたがって細くなるようにしてもらいましたので、トップ自体の浮力は沈めるほど少なくなります。これを利用しての釣りの場面もときにはかなり重要な時間となります。
 既製品については、風呂場などでワンセットの仕掛けを丸めて、ウキをつけて、オモリの量を調べますと、これは一本一本全部オモリの量が違うわけです。また、ウキが立つときの「立ち方」が違うわけです。
 #8のウキであっても#10であってもこれは同じことが言えますが、オモリの量が多いものは水中での落下速度が速いのであり、オモリの量が少ないウキは落下速度が遅いということになります。これを別の表現ですれば「振り込んでからナジミまでの時間の長さが違う」ということになるのです。例えば、エサとオモリが池の表面へ着水してからナジミがでるまでの時間が10秒のウキと15秒のウキがある、ということです。この時間がすべてのウキで差があるわけです。これはウキの作者の制作上の誤差ともいえますが、ウキの材料の差でもあるわけですから、仕方がない現実のなのかもしれません。
 そのようなことを承知して、なおかつ、私自身が持っているウキを手足のように使いこなしてヘラにアタックするということだと思うのです。
 #8のウキで一番オモリの少ないウキはナジミがでるまで19秒かかります。もちろん、エサの比重が重いものでは1〜2秒早くなります。このようなウキのときは中層にいるヘラを誘う時間が長くなります。また、エサとの関係で言えば「より軟らかい」「よりバラケやすい」エサを使用できるのです。仕掛けの落下中にエサが取れてしまうことが少なくなるからです。したがって真冬などでヘラの動きが鈍いときにはこのようなウキをメインに使うわけです。
 オモリが少ないということは落下速度が遅いということですが、ナジミが出てからのウキのモドリは「トップの浮力」によって左右されると思っています。ムクトップでもより太いトップであればそれだけ浮力が大きいのであり、ナジミが出るまでの間にウキの直下にエサを引っ張って持ってくる力が強いのだろうと思うのです。
 ですから、ウキが立つ場所よりもずっと前方へ振り込んでヘラを誘いながらウキを立たせるにはトップの浮力が大きいほうがいいわけです。
 つまり、仕掛けの落下速度がゆっくりということは、ウキのボディの浮力がないからオモリが少ないのであり、ウキのモドリが遅いということはトップの浮力が小さいからだといえるわけです。
 ですから、@オモリの量がとても少ないウキで、かつ、ウキのモドリが遅いもの(トップがより細いもの)Aオモリの量がとても少ないがトップがやや太くてウキのモドリがやや早いものBオモリの量がわりと多くて落下速度が速いがトップの浮力が少ないもの(エサからハリが抜けるのに時間がかかる)Cオモリの量が比較的に多くて、かつ、トップもわりと太いもの等々に分類して使用しているのです。
 これはどういう釣り方になるかといいますと、ヘラがそのときどきの「食べごろのエサ」というものは「常に変化している」と思うのです。
 水分が少なくてかつ軟らかいエサがいいのか、それを押したり練ったりしたものがベターなのか、水分が多めでかつ軟らかいものがいいのか、それを押したり練ったりしたものがいいのか、比重の軽いエサがいいのか、重いエサでいいのか等々です。
 私が感ずるには@いまの瞬間にウキの下に寄っているヘラの絶対数が10枚も20枚もいるAヘラの寄っている数が1〜2枚程度しかいないという極端な事例で考えますと、この@の場合はヘラが「争って」エサにチャレンジすると思うのです。Aの場合は争いなど起こらないと思うのです。@の場合でもAの場合でも周囲にジャミと呼ばれる小魚がいるわけですから、これはこれからはますます空ツンを出してくれるわけですが、とくにAの場合はヘラの食いアタリがとても少なくなって間があると思うのです。
 そこで食いアタリがとても少なくなってジャミアタリだと思ったら、ウキを替えてオモリの量が多いものでどんどんエサ打ちをするわけです。ウキが馴染んだら1、2、3でエサを切ってしまうということを数回続けます。すると面白いものでアタリが出るものです。もちろん振込みは前方へ大きく振り込んで手前へ仕掛けを寄せてきます。中層のヘラを呼ぶわけです。
 アタリが出た時点で@モドリが遅いウキAモドリが速いウキのどちらかを選択するわけです。
 そのためのウキの取り替え作業は、私としての目標時間は30秒です。そのための仕掛けの準備は@同一部品を使ってのセットA風呂場でのオモリの調整と予備オモリを用意しておいて、「さっと」周囲の人が全く気付かないうちにウキを交換してしまうわけです。
 もちろん、ウキ交換をしなければヘラが釣れない、ということでは決してありませんし、交換などしなくてもたくさんのヘラを釣っていかれる釣り人もおられるわけです。
 私の場合には「真冬であっても」100枚を釣りたい、という希望があって、そのための手段の一つとしてウキとオモリの選択と品揃えをしたわけです。このことは、寒い季節の方がより厳密に実行していますし、これからの暖かい季節では逆の使用方法になるということです。
 暖かい季節ではヘラの動きが「活発すぎて」、水面へ黒く集ってしまうという現象が多くなります。釣り人は「上ズリ」と表現してこのことを嫌いますが、水面が黒くなってしまうことは、ヘラのせいではなくて、ひとえに釣り人の釣り方のせいであるわけです。
 真冬と違って「いかにヘラを上に寄せないか」という感覚の投入になるわけです。そうなりますと@仕掛けの落下速度が速いほうがよいとかAエサのバラケが遅いものがよいとかBともかくヘラが寄らないエサを選択するとか等々のことに留意するわけです。
 私の場合は@真冬は「ダンゴの冬+グルテンα21+バラケマッハ」の配合でA真冬以外は「ダンゴの冬+ダンゴの夏+ヘラスイミー+バラケマッハ」の配合で釣っているわけですので、これらの配合はここ何年かは変化がありません。
 そうしますと、水面がヘラで真っ黒になってしまうという状態は、私の「エサの作り方がまずかった」か「エサの使い方が失敗」ということで、これはエサを固くするか粘らせるかボソにするかしっとりにするか水分を多くするか少なくするかということでいくつかのパターンでエサをその都度小分けしながら調整するわけです。
 それらの選択肢の一つとして「どのウキをいま使うか」という課題があると考えているのです。
 私の釣りとしては「ヘラが安心して喉の奥までエサとハリを吸い込んでくれるエサをヘラの目の前に落す」という釣りですので、あとは「吸い込んでくれるまでの時間エサからハリが抜けないで池の底にある」という状況をどのようにして持続させるかということに尽きると思っています。
 このようにウキひとつを考えてもいろいろとあるわけで、100枚超を目標としたときから、釣り堀でのヘラ釣りと言ってもとても奥が深いものだと思うようになったわけです。
2012年2月26日(日)
その107. 真冬の100枚釣り
2012.2.26
 私が「真冬の100枚釣り」といいますと、1月と2月の季節の釣りをいいます。
 12月については、冬と言っても水温と気温が下がりきっていなくて、とくに、12月初旬は11月の水温の延長で100枚超の釣果も比較的に楽に達成できることから、「真冬」の範疇には入れていないのです。本当に難しいのは1月と2月です。
 水温について言えば、例年の最低水温は1月10日前後までに出ています。つまり、水温の「底を打つ」状態が1月10日〜20日頃まで続くのです。
 水温が上昇に転ずるのは1月20日過ぎからです。
 ただし、今年のような寒波の年ですと「底を打った状態」が長続きしてしまって、1月下旬に一旦は上昇に転じた水温が足踏みとなり、ときには今年のようにまたまた下がってしまうということが起こります。ヘラ釣りにとってはとても釣り難い環境となります。
 前置きはこのくらいにして、「真冬」の100枚超の実績を書いてみましょう。これらはすべて水光園での実績です。
1. 2010.1.22(金)127枚、釣り座55番、水温6℃、朝の気温3℃、晴れのち曇り、北西の強風。
2. 2010.2.16(火)121枚、釣り座51番、水温7℃、朝の気温4℃、雪のち曇り、東寄りの風強い。
3. 2010.2.26(金)155枚、釣り座49番、水温10℃、朝の気温16℃、曇り、春一番の暴風。
4. 2011.2.23(水)135枚、釣り座55番、水温8℃、朝の気温2℃、晴れ、北のち東南東の風。
5. 2012.1.21(土)120枚、釣り座48番、水温6℃、朝の気温3℃、雪のち霧雨、東寄りの風。
6. 2012.2.24(水)149枚、釣り座51番、水温8℃、朝の気温7℃、晴れ、北のち西の風。
 過去7年間の真冬の釣りで「たったの」6回だけです。2009年まではダンゴエサオンリーの釣りはしませんでしたので、本格的に両ダンゴで12月、1月、2月の冬場の釣りをしたのは2010年1月からのことでした。
 6回の達成日をみると、月曜日と日曜日がないことに気付くでしょう。月曜日は休日明けということで、春夏秋冬を通して、なかなかに厳しい釣りをしています。暖期であっても、私の釣りに緩みがありますと100枚釣りを逃すというきわどい釣りになっています。月曜日というのは前日までの休日のお客さんが滅法たくさんきた結果として、エサ打ちが大量にされてヘラの食い渋りの原因となっていると思われます。また、日曜日はお客さんの数が多いので、釣り人一人当りの「ヘラの配当」がかなり少なく、また、宙釣りが多いことから、底釣りの私などははじめから敬遠しています。日曜日の釣りはこれからの私の課題の釣りなのです。まずは「真冬」の釣りで100枚超をコンスタントに打てるようになってからという思いが強いのです。
 「真冬」の底釣りで気づくことは、釣り座によって釣果が多少異なることです。この点は3〜11月の季節では釣り座によっての釣果の変動はさほどには感じません。
 私は通年とも10尺ザオで釣っていますので、不利だと思う場所でも、たとえば、11尺とかあるいは15尺とかの長いサオを出せばヘラの「いる場所」に届くのだろうと思うのです。これは私のこだわりで10尺で釣り続けているわけです。
 ですから、「真冬」の季節に釣り座めぐりをしていますと、どうしても釣果の差というものがでるわけです。そうはいっても、「冬場」の釣り座めぐりが完了したわけではなく、この点ではまだ未完成の段階ですので、今年はこれはと思った場所を何回か座ってデータを集めたわけです。その結論が「真冬では釣り座によって10尺ザオでは差が出る」ということがあるわけです。
 また、釣り座55番のように、2012年の真冬も何回か座りましたが「不発」に終ってしまっています。このことは、水温とか休日明けとか周囲に宙釣りとか段底釣りとかが何人かいたとか、消毒の後遺症があったらしいとか、いろいろな要因があって、結果として100枚に達しないということになっています。
 やはり、水温が6℃しかないのに100枚を釣れているということは@水温以外の要件がよかったAヘラが食欲旺盛の日だったということだと思っています。このことは思い当たる節がって、やはり、食い渋りが何日か続いていて、その原因が消毒とか雪とか水面に氷が張るほどの寒さとか、それがなんであったとしても、食い渋りが続いた直後の「荒食い」にぶち当たったということであるわけです。
 例えば、今年の場合に、1.18に消毒、19日釣れなかったという情報、20日も釣れなかった、しかも、雪がたくさん降った、という前提があって、私は21日(土)に釣りを強行したわけです。これは丸々2日半も大部分のヘラはエサを食べていないわけです。そこで土曜日でしたが、しかも、雪かきをするほどの大雪の翌日に釣りに行ったわけです。それは釣り人の数が土曜日でもかなり少ないのではないかという計算もありました。それは当たりました。
 2月は12日に消毒をしたとの事でしたが、幸いに14日は81枚、16日は80枚でしたが、その後は18日74枚、20日61枚、22日39枚と日を追うごとに釣果がダウンしてしまいました。
 これは一旦は水温が7℃まで上昇したものが6.5℃に下がってしまうという寒波があって食い渋りが頂点に達したわけです。もう一点は、この間に幸いに私は80枚前後の釣果でしたが、他の常連さんの釣果は食い渋りということでたいしたことがなかったのでした。
 それなのに、39枚しか釣れなかった日から中一日しかたっていないのに24日に149枚の大釣りをしたわけです。
 私の気持としては、食い渋りもいつかは解消するという気持がありましたので、ただ、それがいつになるのかが「ヘラに訊いてくれ」ということだけでした。ですから、間を置かないで一日おきに通ったわけです。
 もちろん、「真冬」の釣りはあと何日もないわけですが、水温も確実に上がっていくと思っています。これはどんなに寒さが厳しい年でも水温は着実に上がるのです。これは過去7年間の手帳に控えたデータがあります。今月末か3月始めには水温は10℃になっていると思われます。
 もう一つは、巣離れが終って、いよいよ、ノッコミのシーズンを迎えるということです。ヘラは産卵にそなえて荒食いをするのです。実際に釣れてくるヘラの中には抱卵しているのでしょうかお腹の張ったヘラが交じっています。水の中はもう完全に春です。
 寒さもあと一息です。3〜5月はヘラ釣りの最高のシーズンの一つです。
2012年2月19日(日)
その106. 例会の釣り
2012.2.19
 ヘラ釣りの場合でも「例会」といいますと休日に組まれることが多いと思います。
 ヘラ釣りの例会に参加したことは20回ちょっと程度で、しかも、私の「ウデ」がベタベタの素人だったもので、私を意識した会員は皆無でした。参加することに意義があるとか、鈴木さんは「数のうち」程度の会員でした。
 それでも野釣りで印旛新川周辺の農業用水路で釣りをして、それもヘラでもマブナでもというような釣りでしたが、そのときにたまたま私がバカ釣れをして、そこに参加していた「週刊ヘラニュースのAPC」をかなり慌てさせたことがありました。
 また、千葉県の豊英湖などの人造湖での例会にも参加したりしました。ボート釣りでしたのでポイントを求めて湖面をさまよったことを懐かしく想い出します。この場合の検量は持ち帰ったヘラを測るわけですが、このときに気になったのが、ハリにかかったヘラがなんでもかんでもフラシに入っているのではないのかというものでした。もちろん、釣り上げた時のハリのかかった位置を見て確認している人がいないわけですから、現実としてはなんでもかんでもということになっていることがある、と常連さんから聞かされたことがありました。
 ヘラ釣りとは違いますが、マブナ釣りのときのことで、これは佐原水郷などを釣り歩く例会ですが、あの人は優勝候補だ、という人がいますと、バスなどから釣り場へ向かうときに、優勝しそうな人の後ろについていくわけです。つまり、マークしているわけです。そうしますとその人はすたすたと歩いていきますが、しばらくして途中で「忘れ物をした」とか言って戻っていってしまうのです。あとで気がつくとそれは作戦でその人はとんでもない方角で釣りをしているわけです。そのような経験というものをいくつか重ねてきました。
 ヘラ釣りの例会で釣り堀で並んで釣る場合は周囲の状況は逐一知れているのですが、大切なことは、自分の両側に座った人には絶対に負けてはいけないということです。そんなことでは優勝できません。これは船釣りのシロギス釣りとかなどでも同様のことなのです。
 それでは、@休日でA例会でB並んで釣っているという状況で、竿頭を取るということはとても大変なことです。
 平日の人が少ないときに一人で釣っているということとは比較にならないことが多いのです。
 もちろん、上手な人の隣りに座ったら「絶対に」同じ長さのサオで釣りをしないことです。魚をみんな持っていかれてしまいます。そこでセオリーとしては、並んで座るときは隣りの人と違う長さのサオを出す、というものがあります。これは船釣りでハゼを釣るというときも同様です。動いている船で同じ長さのサオですと隣りの人が釣った後を自分が釣ることになりますので不利なのです。
 つまり違うポイントを釣るということが大事なのです。ですから、平日のプライベートな釣りのときには私は常連さんの座りそうな席はなるべく空けておいて離れた場所に座るのです。もちろん、人によっては平日の釣りを知り合いと楽しみたいとわざわざ隣り合わせで釣ることがあります。これはこれで「楽しみ方」のひとつですのでいいと思っています。釣りだけではなくて「会話その他」を楽しむために釣りにきているからです。
 また、例会のときは「口も釣りのうち」で、釣りながらおしゃべりしていて釣りで負けてしまうことがあります。これはある程度上手な人の作戦で、精神的なプレッシャーをかけるわけです。例会ではこの手の会話はとても多いようです。
 会話での途中の釣果については@正確に言う人A少なく言う人B多く言う人C釣果を言わない人とに分かれます。これはどの魚種の釣り会でも同じです。私は嫌というほど体験してきました。
 これは竿頭をとるための「執念」のようなものを感じたこともありました。例会では人格といいますか、人柄といいましょうか、その人の「嫌な側面」がまともに出ます。
 ですから、例会ではエサなども配合や作り方等々「企業秘密」で教えてもらえません。
 私は仕事を引退してからヘラ釣りを始めて今年で7年目ですが、引退してからは釣りの会に所属することはしていません。つまり、例会で竿頭をとるための「努力を放棄」したわけです。
 ですから、例会で竿頭を取る人というのは「並大抵のウデではない」と思っています。その人の相当な努力があるわけです。つまり「口撃」にも負けず、相手にエサ作りを悟られず、動いたウキは必殺の合せで釣り上げてしまうという技術、周囲の人を煙に巻く話術等々が身についているわけです。
 また、「例会の時の釣り」というものは「プライベートな釣りとは異質の釣り」です。その醍醐味を味わいたくて参加する人も多いのです。私などは「もういいよ」というわけです。70歳になった現在はハゼとヘラだけに釣り物をしぼっていますが、「競技の釣り」からは距離をおいて釣りを楽しんでいます。
 若い人たちは例会あるいは競技会などの修羅場をくぐったほうが技術の上達は早いと思うのですが、昨今の世相からはどうやら敬遠されている徴候もあるようです。
2012年2月12日(日)
その105. 哀悼の意
2012.2.12
 2月になっていきつけの釣具店へ行ったときのこと。
 女将さんが、私の顔をみるなり「○○さんがなくなったって知ってます?」と言うのです。
 いいえ、知らないですよ、と答えますと、去年の9月だったそうです、と言うのです。
 大売出しのハガキを出したところ、奥様から電話があったのだそうです。そのときに「鈴木さんによろしくお伝えください」との言葉があったとおっしゃっていました。
 亡くなった方が、奥様に私のことを話題に出しておられたことが分かります。
 その方が元気であれば、今年は確か86歳になるはずでした。
 2011年4月に『HERA100』を刊行したときに、知り合いの方にプレゼントする時期がきたら、イの一番に差し上げるつもりでいた方でした。
 2011年の1〜3月の寒い頃、その方も元気で釣り堀に見えていました。その方からすれば、私などは一回り以上も年下で、年齢だけでなく人生経験も豊富な方が「私如き年下のものに」とても謙虚に質問をされておられました。
 そもそもの最初の出会いは2006年1月のことでした。私が一人でヘラ釣りに通い始めた年でした。
 その頃の私は「目標だけはあっても」「釣技がまったくともなわない」というヘボヘラ釣り師でした。そんなわけで、真冬の一日の釣果が「最高で20枚」というものでした。
 ですから、始めのうちはお互いに情報交換もないし、会話もなし、なんとなく顔をみている、という間柄でした。
 ところがその年の夏になって「空から何かが降りてきてわたしに取り憑いた」という状況になって、一日に100枚を釣る、あるいは、一日に80枚を釣ったなどということが続きました。
 それをその方は御覧になっていたのでした。
 あるときに、私の釣り座に来られて質問をされるわけです。エサは、とか、ハリの大きさは、とか、段差は、とか、タナ取りはウキのどこで、とかおっしゃるわけです。
 私の返答はハゼ釣りのときと同じで、なるべく丁寧に「技術的なことでの隠し事なし」あるいは「情報の出し惜しみなし」という態度でお答えしました。
 その方のそのときの第一声が「こんなに丁寧に教えてもらったことがない」というものでした。この言葉は、その方以外の人からも聞きました。ハゼ釣りに限らず、釣技の披露というものは「肝心なところは相手に伝わらない」ということが多いようです。これが「伝えないようにしている」と勘ぐられることがあるから難しいのです。ある釣具店の店主などは私に向って「そんなにいろいろおしえちゃっていいの??」とおっしゃるほどなのです。
 私としては「質問されたことについては出来るだけお答えする」という態度ですが、周囲の方がなにもおっしゃらないのに「勝手にこちらから講釈をする」ということは「絶対にしない」というやり方で今日まできました。
 昨年亡くなったその方のことで一番に想い出に残っていることは「メモ帳片手にエンピツをなめなめ質問して逐一メモを取る」という態度でした。
 そのメモ帳というのは、スーパーなどのチラシをハサミを使わずに切ったギザギザの紙です。それを20枚くらい束ねてあって、それを釣りながらめくって見ていて、それで釣りをしておられたのです。
 質問される態度は誠に「紳士的で」「真摯なもの」だったと思っています。
 普通、年下の人にはなかなか訊けないものです。それができるということだけでも立派だと思ったのです。
 私がお答えしたことは「当たったこと」もあったようだし「当たらなかったこと」もあったようです。これはときどき「同じ質問がある」ということで推測できることですし、同じような技術的課題のレベルで堂堂巡りをしているということが分かるからです。
 そのことは、私の答えを「そのまま真似をする」という領域からもう一歩踏み出して、その真似をすると成功することがある、という現象から、成功したときの釣りを「再現する」という努力が必要だと思うのです。ところがその方がおっしゃるには「再現する」ということが極めて難しいというわけです。それが「ヘラ任せ」になっていて、ヘラの機嫌が悪いときは極端に釣果が上がらないわけです。分析をするということと、釣り続けるということが不足していたのだろうと思っています。「成功したとき」のあとなどの私は「突っ込み方」の激しさというものがあると思うのです。そこが少し足りないのかと思ったのです。
 ですから、質問がいつも堂堂巡りするわけです。このことはその方以外の人でも同様です。いつも同じ質問をされるわけです。
 このことについては「同じ質問をしたっていいじゃないか」という気持も私にはあるのです。それは私の釣りに対する姿勢と他の人の姿勢とでは「温度差」があるわけです。ですから、私が自分自身に求めていることと同じ事を他の人が求めていると思ってしまうことは錯覚であるし誤解が生ずるもとでもあると思うのです。
 亡くなった方は去年の1〜3月は釣れたときは50枚、一昨年の夏場は80枚という釣果を打つことが出来ました。85歳の人としては大漁だったと思うのです。自己新記録だったそうです。とても喜んで、私のところまでわざわざ出向いてきて釣りの様子をお話になっておられました。
 そのような交流があった方が、昨年の4月過ぎからパタッと姿を見せなくなって心配をしていたのですが、お亡くなりになったという訃報に接して心から哀悼の意を表したいと思いました。
 心よりご冥福をお祈り申し上げます。
2012年1月29日(日)
その104. ウキ止めゴム
2012.1.29
 みなさんはどのようなウキ止めゴムを使っているか知りませんが、私は「潟Iオモリのへらストッパーサイズ少々適合道糸0.4〜0.8徳用50個入」という商品を使っています。
 これには「わけ」があるわけです。
 ここでは「買値」を書くわけにはいきませんので想像にお任せしますが、私にとって「安い商品」であることだけは確かです。
 ウキ止めゴムの役割は、ヘラウキが所定の場所から動くことがないようなことだと思います。
 ウキは、合わせたときの衝撃で「動き」ます。つまり、道糸がヘラの引きとサオに引っ張られる力で「伸びる」ことがあるのです。瞬間的に道糸が細くなるわけです。
 そのためどうなるかと言いますと、ウキの位置がタナ取りした位置よりも下に移動するわけです。釣り人によっては「底が掘れた」からタナが狂ったとおっしゃいます。その場合の何割かはウキの位置が「下がった」ということも原因としてあるのだろうと思っています。
 また、トンボをつけているから絶対にそんなことはない、とおっしゃる方もあるかと思います。トンボの位置は変わりがないという認識なのです。
 それでは、合わせた時のどのようなショックにでも耐えて、設置した最初の位置からまったく「移動しない」ウキ止めゴムというものがあるのでしょうか。実際にはよくできている商品があるものです。
 私もそのような商品を使ったことがあります。適合道糸の太さであれば、ピッタリと糸に密着してなかなかに「固い」です。やたらにゴムを動かすと道糸が「焼けて」「チヂレ」てしまいます。仕掛けを作っているときに道糸を唾液などで濡らして動かしたりしました。
 私にとってのこの商品の「欠点」は「高い」ということでした。
 釣り場でよく耳にしますが、ウキ止めゴムを動かして道糸をダメにしてしまった、という趣旨のハナシです。
 ということは、適合道糸の標示よりは細い道糸を使うとかの「防衛策」が必要でした。
 私の場合はその方法として、私にとってとても「安い」と感じた商品を選んだわけです。その結果はどうかといいますと、商品の「出来」が多少アンバランスで、0.8号の道糸を使っていても、「ゆるい」場合と「ゆるくない」場合とがあることです。
 「サイズ少々」適合道糸0.4〜0.8号ですから、私の道糸0.8号は「きつくて」ちょうどよい太さです。そのように選んでいるつもりなのです。でも、しかし、現実は0.8号の道糸でけっこう「ゆるい」わけです。
 他のメーカーの商品ですと50個入りで買値は六割程度高いですが、装着してみますと、しっとりと糸に馴染んで、これは高いだけのことはあるという商品です。使ってみても、ウキの位置の変動は思ったほどにはありません。でも、ゼロではないのです。ゼロではないと言うことは、私に取っては「気を抜けない」ということです。であれば、安いものにする、というのが私のやり方です。気が抜けないのであればあとは程度問題なので注意していなければならないことには変わりがないからです。
 そんなこんなで最初に書いたメーカーのものを使っています。
 それでどうなるかと言いますと、ウキの上に一個、下に一個つけてみました。ヘラのアタリをあわせてハリ掛かりすると、上のゴムと下のゴムが動いてしまっているわけです。大きく動くのは決まって下のゴムです。
 そこで下のストッパーを2個にしてみました。これは決まりました。ところが、同じ袋に入っている50個のストッパーは道糸に装着した段階で分かっているのですが、「ゆるい」ものがかなり交ざっているわけです。このことは製造した段階での「ばらつき」だと思っていますが、これは技術的な到達点が未熟であると判断できるわけです。それだけのウデしかないという工場であろうと思います。また、安く買えるということは、安く作らされているわけですから、製品のデキも悪いのだろうという意見もあります。
 そこで私はそのストッパーをウキの下に3個とし、ウキの上に2個としました。これで大体は対処できています。それでも大型のヘラをあわせたときなどはそれなりにショックが大きいので次の投入前にはウキを見て確認しています。これは「習い性」になっています。常にウキの位置を見ているということです。
 ウキ止めゴムの数が多いということは、ベテランさんから見ると、きっと「ダサイ」仕掛けだと言われそうです。でも、そこまで注意して私のセットを認識していないようです。
 しかし、ウキ止めゴムの数が多いと「使い道」というものもあるのです。つまり、ウキを少し上に上げたとします。そのときに一番下のゴムは動かさないで置くわけです。そうすれば次にウキを元に戻すときにその位置まで下げればいいという按配です。いちいちタナ取りをする必要がないわけです。そのときにウキのすぐ下に2個、少し離れて1個というか形ですが、2個ではゴムが動いてしまうかも知れないという心配がある接着具合のゆるいゴムであるとすれば、そのときは3個のままで動かしています。そのときは動かした位置が見えなくなります。私の場合は、同じウキ止めゴムを使用して、板オモリを巻いた管の上に2個、下に1個装着してあります。板オモリを巻く小道具は道糸がツウツウになるように中が空洞ですので、ヘラがハリ掛かりする度に道糸の上のほうへ跳ね上がるわけです。それを防ぐために上に2個装着してあるのです。そのうちの1個を上に上げてウキの下まで移動します。するとウキの下に4箇のすトッパーがあることになります。そのうちの3個をウキと一緒に上げて、一番下の1個をそこへ残しておきます。ウキを移動させた元の位置がそれでわかるという仕掛けです。
 タナ取りゴムを使わなくてもエサをセットして振り込めばウキの立ち具合でウキが動いたか、底が掘れたか位のことはすぐに分かります。よくよく確認したいときだけタナ取りゴムを使用するようにしているだけです。
 もちろん、ウキを下げたいときは、上に二つゴムをつけましたので、1個はその位置に残しておいて1個だけでウキを下げるのです。そうすれば下げた長さが分かっていることになります。
 私のウキ止めゴムの使い方ですと、どうしても1個の仕掛けにウキ止めゴムが8個必要になります。やはり50個入りの他のメーカーの「高い」商品を使ったとしても、実際に使ってみてウキの移動を確認していますので最低5個は必要でした。その場合には、余分な数がありませんので、タナの上げ下げの位置を「残しておく」ということが出来ませんでした。
 そんなこんなで現在でもウキ止めゴムは8個装着しています。
 私がヘラ釣りをする目標の一つに一日に100枚を釣りたいというものがあります。そうなりますと仕掛けの「損耗」ということが多くなります。200枚までは、特に暖かい季節は、仕掛けを1本で釣りたいのですが、それ以上の数は仕掛けの痛みが出てきて、ときには、合わせ切れということがあります。
 そこで私は100枚超を記録したときは、次は新品の仕掛けを最初から使うようにしています。すでに100枚超を釣った仕掛けは予備として残すわけです。もしも、新品で使っている仕掛けにトラブルがあったときは、前回使用した仕掛けを再利用するというわけです。再利用のチャンスがなかった仕掛けはいずれは廃棄して新しい道糸で作り直します。
 このようなサイクルで仕掛けを使っていますと「高い部品」はもったいなくて使えないのです。どんなに「よい、すぐれた」ウキ止めゴムであっても、一回使って100枚超だからと「使い捨てる」私のやり方ではいかにもコストが高くつくと思ったのです。
 仕掛け一本に使う数が多いわけですから、結果として同じようなコストになってしまうのでしたら、安いものをたくさん使って「使い道」を多様化したほうがいいと思ったのです。
 実際に「もっもっと高い」ウキ止めゴムを使っている人たちで、ライン切れで仕掛けを飛ばすのはウキ止めゴムの所からが多いようです。それはゴムの接着が「きつい」からです。ウキが動くのを嫌って道糸にぴっちりとしたものを使うのでどうしても道糸がその部分で細く締まって押されて潰れているわけです。おまけにウキを動かすたびに糸が「焼ける」などとおっしゃっているわけですから、どうしてもラインの損傷もあるのだろうと思っています。
 そこで道糸の商品としては、「伸びない」「焼けない」「丈夫な」ものが出ています。それなりに高いです。ですが私は100枚超の釣果であれば、極端な話一日使って廃棄する道糸ですので、100〜200枚の範囲内で「もってくれればいい」という考えですので、道糸も釣具店で一番安いものを使っています。
 今回は、ウキ止めゴムも道糸も「使いよう」ということで、私の釣りのスタイルに合わせた部品を調達して使っているというハナシをいたしました。人によってスタイルはさまざまですので気に入った「部品」で仕掛けを組み立てればいいのだろうと思っています。
2012年1月20日(金)
その103. ウキとエサ
2012.1.20
 ウキの大きさといいましょうか、長さというか、オモリをどれだけ背負うか等々ウキのサイズは釣り人によって様々だと思うのです。
 もちろん、使用するサオの長さによってもウキのサイズは違ってきます。
 また、宙釣りか、段底釣りか、底釣りかでも違うでしょう。
 ですから、ウキのサイズは「ご自分の釣り」によって一人一人異なっていると思うのです。
 それと、道糸(ライン)の太さによってもウキのサイズを微妙に替えるのだし、それはラインの「重み」によってウキが沈むからです。もちろん、ラインの素材によっては沈み方が違うのですが、普通は、ラインが「太ければ」沈む速度もウキの沈みも大きいのだろうと思うわけです。
 そんなことをいろいろと書いたのは、釣り人の「釣り方」とか、「目標釣果」などによって、ウキの「感度」が大きく影響すると「思っている」からです。
 私の場合を述べてみますと、@一日に100枚釣りたいAバランスの底釣りB両ダンゴエサC10尺ザオ等々のテーマで釣りをしています。10尺ザオにしたのは軽くて振り回しやすくて疲れにくいと思ったからだし、ダンゴエサにしたのは100枚を釣れる確率が高いエサだと思ったからだし、これは他のエサで底釣りで100枚に到達した方を一人も見ていなかったということも影響しているのですが、そんなこんなで、今年で7年目になりました。
 いまは真冬で、いわゆる「厳冬期」です。この季節に一日に100枚を釣ろうとチャレンジしているわけです。
 こうなりますと、どうしても最低で50枚、「普通に」70〜80枚、「あわよくば」100枚超ということです。これは50枚という最低目標であっても、「普通に釣りにきている人」からすると「馬鹿げている」釣果だと言えます。実際に、両ダンゴで50枚と言うと驚かれる人が多いのです。「真冬に」「両ダンゴ」で釣るということだけでも変わっているのに、「最低50枚」とか、第一目標が50枚で第二目標が70枚とかいいますと、これはどうしても「正気とは思えない」言葉を発しているわけです。したがって、このことは釣り場では滅多に口にしないことにしています。訊かれればある程度は答えますが、釣果をみずから口にはしないのです。それはそれで私個人の「密かな楽しみ」であるからです。
 問題は、真冬のいまの季節に100枚に挑戦するための「ウキ」はどのようなものにしているかということです。
 前提として、先ほども述べたように、ウキはご自分の「使い慣れたもの」が一番いいのです。それがパイプトップであろうとムクトップであろうと、ウキが長かろうが短かろうが、太かろうが細かろうが、オモリの量が多かろうが少なかろうが、それは、ご自分の「使い慣れた」言い換えれば「見慣れている」ウキといいましょうか「気に入っている」ウキであればそれでいいと思っています。
 私の場合のそれに当てはまるウキとは「ムクトップ」「ウドンウキ」「オモリの量がきわめて少ないもの」というものを使っています。
 それは「感度」を重視したからだし、「比重の軽いエサ」を望んだからだし、「中層にいるヘラにエサを追わせたかった」からだったからです。
 これは10尺ザオということも影響しています。例えば、12尺を使うということであれば、振込み等のことを考えますと、もう少しサイズの大きいウキにするとかになるでしょう。10尺ザオだからこそ使えるというウキを使っていることになります。
 そのようなウキで真冬に釣っていますと、使用するエサは比重の「軽い」エサということになります。「重い」エサですと、どうしてもウキの方がエサに負けます。負けるとどうなるかと言いますと、ズブズブと「沈没」するわけです。ちょっと前方へ投入しすぎただめに、ウキとラインが斜めになってウキが立つわけです。そんなときに気に入らないとサオ先をちょっと持ち上げてウキを「引っ張り上げたり」するわけです。
 それと底に「ドーン」と座り込んでいるような「重いエサ」よりは、「フワフワと軽い感じのエサ」の方が、「真冬」の場合はいいのだろうと思うのです。
 ヘラの動きがとても鈍い真冬であっても、ヘラはエサを追うのだし、そのときにヘラの動きや風や波でエサが「ゆっくりと動く」方が反応すると思うのです。これは長年ヘラ以外の釣りをしてきて、やはり魚は「動くエサ」によく反応するということがあると思っているからです。ヘラも然りです。
 そのようなことから、私の釣りは、振り込んだエサが着底した直後のアタリをとても重要視して臨んでいます。
 真冬の場合はヘラの動きがゆっくりなので、なかなか着底直後の食いアタリというものは出にくいです。とはいっても、たまたま着底したエサの目の前にヘラがいたからでしょうか、とてもしっかりとした「ドン」という1〜2目盛りもしっかりと沈むアタリが出ることがあります。5枚釣ったうちの2枚とかという割合です。あとは着底後30秒経ってからのアタリとかということになります。
 「真冬の」ダンゴエサのブレンドは私の「シニアの突撃ヘラ釣り」に書いた通りですが、ブレンドのパターンが三つあります。
 まず@α21A綿グルテンBイモグルテンを配合するグルダンゴエサです。@は厳寒期のいま使っています。膨らみの形が少ないですが、水分を多めにして練りますと「ウドンエサのようなダンゴエサ」が出来上がります。ヘラの動きを見ながら、元エサのまま丸めて使うか、かつ、水分補給をして使うか、または、練って使うか、練り具合はどのくらいまでにするか、という具合に変化させて使います。要するに、ヘラに「追わせる」エサをどう作るかという釣りです。Aは水温が7℃とかとわりと高くなってきたときに使うようにしています。このエサはマッシュが少し配合されていますので、膨らむのが早いですし、周囲へ飛び散るのも多いと思っています。集魚力はα21よりはいいと思うのですが、厳冬期にヘラを「上ズラス」ことがいけないと思うのでいまは控えています。どうしても釣られたヘラが底近くで暴れたときに底から上にあまりエサが飛び散ってもらいたくないと思っているからです。その点、α21のブレンドでよく練ったものはウドンのようで、つまり固形に近いと思っていますので飛び散り方が少しは違うかと思っています。ただ、α21の配合のエサでの100枚釣りを未だ達成していませんので、水温と集魚力との関係で、私の解決課題の一つになっています。イモグルテンを配合したものは、ともかく、前の二つのブレンドよりは「重い」です。エサをちょっと大きくつけたりしますと、一番小さなウキだとウキが負けます。イモグルテンを配合するのは3〜4月になってからです。水温が10℃前後程度でしょうか、ヘラの動きが「かなり」活発になってからです。4月以降は水温の上昇を見ながら、さらに「重い」エサに切り替えていきます。
 そのブレンドはみなさんも読んだ通りのものです。夏冬ヘラスイミーマッハというものです。これで「暖期」を過ごします。水分の量と練り加減だけの調節です。
 もちろん、3月以後のウキはエサの重さに負けないようにそれなりの大きさのものに替えています。私の持っているウキでいえば、真冬はウドンウキの#8オンリーの釣り、2〜3月は#9〜10のウキ、4月以後は#10〜13のウキと替えています。オモリの量が違うことと、トップの長さが長くなって、トップの太さも微妙に太くなっていることです。
 いずれにしても、夏場であれば「パイプトップ」であってもアタリはしっかりと出るわけですが、パイプのアタリはムクトップと比べるとどうしても「小さい」ですし、浮力が大きい分だけどうしても「ドロン」とした感じのアタリが多いです。パイプを使い慣れた方はそれでもそのアタリを「いいアタリ」とおっしゃいますが、私のいういいアタリは、もっと「キレのある」「ドンと二目ほど入る」アタリをいいます。それを望むにはどうしてもそのアタリの頻度が多いウドンウキを使うことになっています。この点は人によって「慣れたウキ」というものが千差万別なので、「いいアタリ」の基準が違うと思っています。
 要は、ご自分の感覚で「いいアタリ」と思っているアタリを@真冬ではどう出すかAその他の季節ではどのように出すかということで考えればいいと思っています。
2012年1月15日(日)
その102. 水温の推移
2012.1.15
 ヘラ釣りにとって水温の変化というものは影響があると思うのです。
 この点について、水温を測定する「ヘラ釣り師」は極めて少ないといっても過言ではありません。少なくとも、行きつけの「水光園」という釣り堀でこの丸6年間ヘラを釣ってきて、水温を測る釣り人は私以外にたった二人しか私は知りません。このお二人でさえも私が測っていることを参考にして始められたのです。
 このことはハゼ釣りでも同様で、釣り人は「感覚で」寒い、冷たい、暑い、熱い等々判断していますが、温度計を出して測定する方はほとんどいません。
 甚だしい場合は、釣り宿などでも測定していないことがあるのです。
 私の過去6年間、2006年〜2011年までの手帳の記録に依れば次の通りでした。(詳細データは省略します)
 2006年の1月は水温4℃が1回、5℃が2回、5.5℃が2回、6℃が2回、6.5℃が1回、7℃が2回でした。
 12月末から急激に下がり始めて、1月10日〜20日前後がそのシーズンの最低水温となり、下旬には7℃まで地熱が上がっています。2月以降は上昇し続けます。この傾向は過去6年間同様の推移です。問題は水温4℃という日が多いかどうかということです。それによって「厳寒」かどうかの判断になります。釣果に大きく影響します。この点については2012年は7年ぶりに水温4℃ということがあるかと考えています。7年ぶりの寒さというわけです。
 2006年と対照的なのは翌年の2007年です。2007年1月の水温は、7℃が3回、8℃が5回、8.5℃が2回、9℃が2回となっていて、「暖冬」だったことが分かります。
 その割にわたしの平均釣果が20枚前後ということで、これは私の「未熟」以外の何ものでもありません。2007年の水温であれば「いまの私なら」どれほどの釣果を打てるのかと考えるほどの状況です。
 このように、1月の水温というものは、そのシーズンの最低水温を記録しているのです。他の年も似たり寄ったりです。
 ただ言えることは、冬の水温が低い年と高い年が比較的に交互に、2〜3年間隔で繰り返されていることです。
 2010年と2011年は1月の水温が4.5℃〜6.5℃と比較的に低い水準で推移していました。2012年は2010年と2011年よりも低水温になっています。
 暖かい季節の水温は、どの年であっても8月が最高水温を記録しています。暑い年では8月の最高水温が30℃で、これ以上の測定値は私の記録からはありませんでした。
 冷夏とされた年では、8月の最高水温は27℃までで、25〜26℃が多いのです。その点では2010年と2011年は酷暑の夏でした。
 水温の高低の変動周期から推測しますと、2012年あたりは水温としては冷夏ではないのかと考えています。これは当るも八卦当たらぬも八卦というところで、私個人の単なる思い込みかもしれません。
 だとしても、ある程度の周期性が見られると思っていますので2012年か2013年には夏場の水温が低いことがあるかも知れません。
 2012年については、1月の水温が本日現在までとても低く推移していますので、この傾向から言うと8月の最高水温は30℃ということも考えられる状況です。8月の最高水温は2010年も2011年も30℃という数字は出ませんでしたので、2012年はそれがあるのかもしれません。
 ヘラの上ズリについては、水温が高いからヘラが水面へ真っ黒に出てしまう、という意見があるかと思います。これは水温が高くなってくるとその現象が見られますのでそのように思われるわけです。
 でもそれは、ヘラの「絶対数」が多いか少ないかにも大きく影響されると思っています。
 また、エサの仕上がりにも影響されると思います。ある程度はエサ作りとエサの打ち方でヘラが水面へ出てくるのを防ぐことができると考えています。このことは2010年と2011年の私の実践でこのように言えるわけです。
 仕掛けの落下速度、エサの硬さ、粘り具合、ウキの大きさ等々でコントロールできます。
 夏場のヘラ釣りでの水面へのヘラの上ズリは、水温が25℃程度の冷夏の年でも、水温が30℃にもなる酷暑の年でも、ヘラは同じように水面へ出てきます。
 このことは、4月でも5月でも同様の経験はするのですから、一概に水温だけの原因で片付けられないわけです。
 「どのような種類のエサ」を使ったとしても、「その使い方が適切でなければ」ヘラは水面へ出てくると思っています。肝心なのはエサの使い方だと思います。
 2012年は1〜2月の水温の推移を見ながら、夏場の水温を考えてみたいと思っています。
 水温はヘラ釣りだけでなく、ハゼ釣りでも大きく影響しているからです。
2012年1月8日(日)
その101. ダンゴの握り
2012.1.8
 私のエサは、専らダンゴ一辺倒です。
 ダンゴエサの作り方は十人十色だと思っています。見ていても、もう、一人一人全く違います。このことは、釣りの本などにも書かれていますので、それを参考にしたりして「真似て」いるわけです。
 私がダンゴエサ(つまり、元エサ)を作るときは「道具」を使いません。道具と言ってもそれは「ヘラ」とかなどのことを言うのですが、要するに、手の指を熊手のように使ってかき混ぜているだけです。
 長年の実績と経験から、私のダンゴエサは@ダンゴの冬、グルテン、バラケマッハAダンゴの夏、ダンゴの冬、ヘラスイミー、バラケマッハの二種類になりました。それ以外の材料も昔は使いましたが、いまは全く使っていません。それは特定のエサを「使いこなす」ということを重視したからです。
 メーカーによって開発されたエサは、それぞれものすごい「パワー」を秘めていると思うのです。もちろん、エサによって「使い道」が違っているわけですが、そのことを差し引いても、メーカーが開発したエサは「ヘラが釣れてくる力」を秘めていると思っています。
 メーカーとしても、釣り人の要望とか、釣り場の状況とか、メーカー自身の利益(売上目標)の問題とか、いろいろな事情によって、次々と「新エサ」が登場します。登場する「新エサ」を釣り人が次々と「追いかけて」いますと、それはもう「釣りエサメーカー」あるいは「釣具店」に釣り人が「入れ食いで」釣り上げられてしまっていると言う状況だと私は思っています。ヘラを釣る前に釣り人が釣られるわけです。
 私がヘラ釣りを始めた当初は、どうしようもない「初心者」状態でしたので、エサに対する知識も全くありませんでした。つまり、エサを「見分ける基準」がまったくなかったわけです。
 したがって、本などからの情報、釣具店での紹介、釣り場での釣り人の話などから手探りでいました。そのような期間というものはどなたの場合でもある程度は仕方がないものと思っていますが、その状態からいつまでたっても抜け出せない人もおられます。いずれにしても、ある程度の種類のエサを「実際に使ってみて」、それから、「相性」というものを考えました。これは「感覚」ですから、理屈ではありません。それと、いろいろなエサを使っている間に、これは全くの偶然ですが、諸般の条件が一致したときに「大釣り」をするわけです。そうしますと、その大釣りの感覚が忘れられなくなって、そのことは「使ったエサを忘れられなくなる」ということですが、そのパターンの私のエサが前記の@とAのエサだったわけです。
 しかし、その「発見」は「終わり」ではなくて、私の苦悩の「始まり」に過ぎなかったわけです。というのは、その@とAのエサを使って釣りをしても、釣果のアップダウンが「激し過ぎる」ということがあったわけです。
 釣るときは70枚とかを釣るのに、釣れないときは20枚とかというわけです。このときに、やはり、どのような原因があるのか、とうことを自問自答するわけです。これは時間というか日数というか年月というか、ともかく試行錯誤の連続でした。
 結論としては、「エサの使い方が下手」だったということに尽きたわけです。エサのせいではなくて、つまり、他のエサのほうがいいとかというようなことではなくて、エサを使うときの使い方によるということになったのです。
 このことは、ヘラ釣りの「プロ」「セミプロ」の方たちは先刻ご存知のことだと思うのです。でなければ、プロとしての釣果が打てないと思うのです。
 このことを別の言い方をしますと、エサを「ヘラに合わせる」ということだと思うのです。このことを私流の表現に言い換えますと「ヘラの食べごろのエサ」(『HERA100〜本気でヘラと勝負する〜』鈴木和明著)をいかに手早く作り投入するかということになるのです。
 ヘラの目の前に落ちてきたエサが、「その瞬間」に「食べごろのエサ」の状態になっていれば、ヘラは瞬時にそれを吸い込むでしょう。もしも、食べごろのエサになっていなければ、そっぽを向くと思うのです。下手をすると向きを変えたときに尻尾でそのエサを蹴飛ばすかもしれません。
 このことは水中を観察したわけではないので、単なる想像のハナシですが、いずれにしてもどのような状態のエサに「手直しをする」かということだと思っています。
 私が釣りをするときのエサは、@元エサのままで使うA手直しするの二つです。これはどなたでも同じだと思います。
 元エサを作る段階でボールの中でかき混ぜるだけではなくて、それを練る方もおられます。人によって「元エサ作り」の段階から違っているわけです。少なくとも私の場合は元エサ作りの段階では決して「練る」という作業はしていません。あくまでも、「かき混ぜる」だけです。
 元エサを別の容器に小分けして、それをそのまま使うか手直しするかということですが、そのまま使うにしても、二つの方法があると思っています。@一つは小分けした元エサからハリに付ける分量だけを摘み取ってそれをハリにつけるA二つ目は小分けした元エサからハリにつける分量だけを摘み取ってそのまま丸めて次の投入用の「在庫」を2個作っておく、というものです。Aの場合には次の投入までの待機の時間がありますので、丸めたエサの表面がやや固くなります。乾燥するからですし、丸めたときの圧力でエサが締まって硬くなるのです。このような状態がよい場合とよくない場合があります。ですから、釣りをしている状況によって使い分けるのです。
 もちろん、上記の場合に、エサを摘み取るときに@摘み取る手指に湿ったタオル等で水分補給をしてから摘み取るA水分補給しない手指で摘み取る、の二つがあります。これも状況によって使い分けます。つまり、ヘラの食べごろのエサに近づけるための手段というわけです。
 また、摘み取った元エサをハリにつけるまでの瞬間に、@エサに手指で圧力をかけてギュッギュッと「潰す」A手指の中で「揉む」などの作業をすることもあります。
 以上の「作業」はやって成功するときとそうでないときがあるのです。
 元エサをそのまま使う場合でもいろいろな使い方があることが分かります。
 私は右ききですから、エサの握りは左手です。ウキの動きを見ながら、ごく自然と左手の動きが出来るようになってきました。プロのようには行かないと思っていますが、少なくとも、底釣りで100枚を釣ることができるような左手の動きになってきたと思っています。
 本稿では元エサの使い方だけしか書けませんでしたが、その他の場合のことは機会があったら論じてみたいと思います。
2011年12月22日(木)
その100. 相手替わって主替わらず
2011.12.22
 私の釣りは、相手替わって主替わらず、のクチです。
 ヘラ釣りでは、特別にグループに加わるとか、特定の人たちと交わるとかはしませんので、厳密には「一匹狼」だと思っています。
 それでも、一つの釣り場に6年間も通っていますと、いつの間にか、気心が知れて、「釣り場友だち」というか「釣り場知り合い」とでもいいましょうか、顔見知りの人が何人か出来て、挨拶もし、ときには、話をし、ということで、釣り場で手を挙げて遠くから挨拶を交わすということも多くなりました。
 ところがこの6年間のうちにその方たちの何人かの姿が見えなくなりました。特にメールとか電話のアドレスも訊いていませんでしたので、また、そのような間柄にも私のほうからはなろうとしませんでしたので、その後の消息が皆目わかりません。
 そうこうしているうちに、水光園へ「復帰」する人もいて、病気をしていたのではと尋ねたりもいたしました。
お話を伺うとどうやら他の池へ「遠征」といいましょうか、出かけていたのだそうです。理由を尋ねたところ、料金が1300円だというのです。ここは2000円だから1300円だと昼飯代がでる、とおっしゃるのです。
 それは確かにおっしゃる通りです。年金暮らしなので安いほうがいいと言うのです。それも確かに一理あります。私も含めて現役のときに天引きされてさんざん支払っていた年金がいただけるようになったときに、それを「減額」とか何とかかんとか、ともかく、世知辛くなってしまいました。
 80代になったその方は、次の年金が出るまで手持ちが少なくなったので、安いほうへ行ったとおっしゃいます。
 その方のように懐具合で他の池へ行った人はお金が入ればまた戻ってきます。ちなみに、他の池へ行くには水光園からさらに40分ほど車で走るのだそうです。往復で1時間20分ほどは走ります。細かく計算すればガソリン代もかかるのでしょうが、目先の料金の700円が浮きますのでそちらへ行ったようです。
 水光園へ戻らない方もいます。日頃から、池の管理とか対人関係とかヘラの大きさとか釣れるとか釣れないとか等々いろいろとクレームめいた愚痴を振りまいていたような方々はいつの間にか姿を消して、何年にもなりますが音沙汰がありません。
 病気で来なくなる人もいます。家族が倒れたりしてもそうなります。
 姿を見なくなって半年になる方は、市川からきているお年寄で84歳になられます。今年の春頃に冗談交じりに、あと一年はできるかなあ、とおっしゃっていたのです。家族の送迎をするから免許は必要だと言っていました。
 私が84歳まで釣りが出来ればとても幸せだと言いますと、健康第一です、とおっしゃいました。その方がパッタリと姿を見せません。釣具店にも来ないのだそうです。ということは、本人が病気か家族が具合が悪いかです。
 その外にも突然姿を見せなくなった方が4名ほどいます。みなさん私と同年代の高齢者ですので、体調でもすぐれないのでしょうか、寝込んでいなければと、思う日々です。
 姿を見せなくなったとしても、どこかで元気に釣りをされていれば、私はそれでいいのですが、釣りそのものに興味を失って止めてしまうということもあります。こちらの方はどうしようもありません。事情があってそうなるわけですが、ヘラ釣りが難しくて思い通りにならず嫌になってやめてしまうということもあります。
 池で飼っているヘラですので、エサをつけて仕掛けを放り込みさえすれば釣れるはずなのに実際にはそうはならず、ヘラに「翻弄される」という場面もあります。
 私はヘラ釣りそのものはそんなに難しい釣りだとは思っていないのですが、釣れないときは確かに難しいなと思うこともあります。
 現在では一日に100枚に挑戦する日々ですので、厳寒期を迎える昨今では、やはり、100枚という目標に届き難い釣りになっていますが、それだからといって、嫌になるというのではなくて、かえって、闘志を燃やしてヘラと本気で勝負するという気持ちで臨んでいます。真冬に底釣りで100枚を釣ることが出来たら、これほど楽しいことはないと思うからです。
 これは道楽です。趣味を通り越しています。いくらか意地になっています。
 やはりどんな趣味でも、挑戦するとか、情熱を燃やすとかいうことがありませんと、どうしても通り一遍の釣りといいましょうか、だらだらと惰性で一日を過ごすということになりかねません。それこそ時間とお金の無駄遣いです。まあ、それでもいいのだという方も実際にはおられるわけで、私のような人間の方が例外なような気がします。
 釣りに来て、人と交わって、おしゃべりをして、情報交換して、それがしたくて釣りにくる方も多いのですから、私などの釣りとは正反対の釣りです。そのような方は一人で来ますと、あくびが出てしまって、途中で昼寝をすることもあるのです。
 釣りの楽しみ方が私とは違うわけで、私などは一日中他の釣り人の誰とも語らず、顔を合わせず、黙々と釣りをしていて、それが最高の自己満足の時間の過ごし方と心得ていますので、始めから、釣り場へ来てからのある種の「ストレス」からは身をかわしているわけです。
 姿を見せなくなった方々が元気で日々を過ごされていることを祈っています。
2011年12月11日(日)
その99. 営業ベラ
2011.12.11
 ヘラ釣りを再開した直後のこと、夕方になるとアタリがしっかりと出て、よく釣れるのです。
 そのころは私も「超初心者」で、地元の80歳の先輩に連れられて釣りをしていたものですから「ヘラの奴が、また来て欲しいものだから、一生懸命に愛想振りまいてるよ、営業してるみたいだね」などと言っていました。
 そのようなことが度々あって、納竿前の1時間程度の時間に食いがよくなるときのヘラのことを「営業ベラ」と名付けて呼んでいました。
 このようなネーミングというのは私たちが名付ける前に誰かがそのように呼んだことがあったのかもしれません。
 しかし、情報にうといものですから、長い間私たちの専売特許のようにして「そろそろ営業ベラが出てくる頃だよね」と話ながら釣りをしていたのです。
 私がいつも100枚超の釣果のときは、大体が午後2時半過ぎの時点で100枚に達している事が多いのです。少なくとも午後3時には100枚になっていたいと思って釣っています。
 ところが日によってヘラのご機嫌が悪いこととか、釣り人の私の釣りが「変調」をきたしていて、午後3時に90枚とか、85枚とかいうことがよくあるわけです。
 こうなりますと私自身は必死になっていますので、営業ベラが現われるのを期待するわけです。こんなことって、言い換えれば、自分の未熟さをタナにあげて、ヘラのご機嫌に期待しているわけです。
 そんなわけで、最近ではますます、釣りのペースがいいかわるいかに関係なく、午後1時過ぎになりますと、まず@トイレへ行くA新しいエサを作っておくBエサ打ちを積極的にするなどの「作業」をしています。
 これは何かといいますと、営業ベラが食い始めたときに、トイレへ行きたくなってしまうとか、エサ切れで作らなくてはならないとか、そんな事になってしまったら折角のチャンスを逃してしまうからです。
 少なくとも、準備さえしていれば、ラスト2時間で35枚釣ったとか、ラスト1時間で20枚釣ったとかというような「瞬間風速」と名付けている「爆釣」を実現できるわけです。
 このような実例はたくさんあって、その結果として、102枚になったとか、110枚になったとかという釣果が出るわけです。
 午後の2時半とか3時とかになると、ラストの1時間なりの時間帯で正午前後の3時間前後の時間帯よりはいいペースの釣りになることは多いと思うのです。
 逆に、ラストの1〜2時間の時間帯に「瞬間風速」を実現できませんと、95枚で終るとかになってしまうのです。
 準備というものは、トイレ、食事、エサ切れ、ウキ交換、タナ取りなどさまざまなことを「瞬間風速」の時間の期待をこめてしているのです。
 このことは午前中にもそのような時間帯というものがあって、それは午前8時から9時過ぎくらいまでとか、多少の時間差はあっても午前中に一回はそのような瞬間風速のチャンスがあると思っています。
 私の100枚以上の釣果のときは、少なくとも最低1回は瞬間風速があるわけです。
 それが午前中にないときは、釣っていてそれが分かっているものですから、根気が必要なのです。つまり、コツコツと時速9〜11枚のペースで釣っているわけです。このペースですとどうしても午後2時の時点で70枚とか、75枚とかのことが多いのです。どんなによくても80枚という数字です。
 とするとラスト2時間で20枚とか、30枚とかを釣りませんと100枚に足りません。ですが平均時速10枚ですとどうしても98枚でオワリなどということになってしまいます。
 ですから夕方に「出現する」営業ベラに大いに期待するわけです。
 そのためにはチャンスを逃してはなりませんので、前記のような@〜Bの準備をしておいて、手ぐすねをひいて待ち構えているということになるのです。
 それが成功するか失敗するかは、少なくとも私自身の「調子」の良し悪しにもかかっているといっても過言ではありません。
2011年6月12日(日)
その89.自己申告と信用
2011.6.12
 ハゼ釣りの場合の私の釣果は船宿で数を数えてくれますので「自己申告」という釣果がメディアに流れることはないのですが、ヘラ釣りについては私のホームページや著書の釣果は「すべて自己申告」の数字です。
 これはヘラ釣りの特殊性とでもいいましょうか、なかなか釣り堀や釣りセンターの「現認」ということにはなりにくいようです。
 でも最近では機械が発達してカウンターが釣り座に備え付けになっているところもあるようです。
 私が通っている釣り堀ではそのようなものがありませんので、自分でカウントして釣果を積み上げるわけです。
 やはり、このようなシステムですとどうしても釣果はご本人が言うものになるのですが、これは私の場合も同じですが、どうしても自己責任の部分というものがあるわけです。
 私がヘラ釣りを本格的に始めた頃は釣果は一日で20枚というのが「自己目標」でしたし、どっちに転んでも周囲の人が私の釣果など気にも止めないというレベルでした。
 そんな未熟な私でも通っていますと少しずつ「上達」して、釣果が40枚とか50枚とかになるわけです。それがときには何かが私にとり憑いたのではないのかという「バカ釣れ」があるようになって、70枚などということがありました。
 こうなりますと私にとっては自己新記録の釣果ですし、周囲で見ていてもこれはちょっとした竿頭の数字になるわけです。
 このことは現在でも水準が違った段階での「バカ釣れ」ということがあって、この間は190枚などという自分でも「信じられない」ような釣果を打ったわけです。
 こうなりますとときには80枚を釣るという知り合いのお年寄りの最高釣果からみても2倍以上の数字になるわけです。
 私の場合の釣りは「自分が楽しめればそれでよい」という釣りですので、他の人に対しても「その人が楽しければそれでよい」という立場です。
 ですから他の人たちの釣りについては私からはいっさい「干渉しない」ということで過ごしてきました。
 ところが私の釣果がある程度の水準になって、ときには頭抜けた数字となるようですと、私の方が釣果を口にするのを控えるようになりました。
 このことはハゼのときと同様で釣っているときに自分から釣果を言うことを控えたことと関係がありました。私は釣果を「誇ったり」「ひけらかしたり」することを極端に嫌ったからです。
 また、釣っている中間で数字を口にすると「釣れなくなる」というジンクスが私にはあったように思うからです。このように釣りというものはかくも「心理的な部分」というものが「釣りに」影響するものだと思うからです。
 そのような配慮があるとしても、実際に釣りをしていますと周囲からは釣れているのが見えるわけですから、どうしても釣果というものは意識されているわけです。
 私の釣果の水準が50枚とか、70枚とかの数字であればさほどには気にしないのですが、やはり、100枚とか130枚とかになりますと、口に出して自分からはとても言い難いものです。
 ですから、いつの場合でも、釣果そのものは黙っていて、一人でカウンターを押しているという日常です。
 ヘラ釣りでの「信用」というものは釣果を口にして信用が出来る場合と、口にしたために信用されなくなる場合とあるようです。
 どちらにしても、私の場合はただ釣ればよいという釣り師ですので釣った結果についての信用があるかないかはさほどには関係がないものとして扱ってきました。
 いいかえれば「信用を得る」という努力を全くしないできたのです。
 ヘラ釣りといえども、10人いれば10人の違った釣りがあるわけですし、価値観も違うし、評価の仕方も違うわけです。
 ですから、その人の釣り方で釣ればいいのであって、私と誰かが違っているのは「当たり前」なのであって、それを「釣果」という結果に置き換えて、釣り方が違うから、とかいう判断は的を得ていないと思っています。
 ハゼ釣りと違ってヘラ釣りは「検量」という「儀式」をくぐっていませんので、数字そのものについての信用性はとても低いものだと自覚しているつもりです。
 また、釣ったヘラについても、私の場合は底釣りですから、どのようなアタリをあわせて釣ったのかなどというシビアな、あるいは、底釣りという釣り方の「根源的な」部分についての確認とかが周囲からされていないということがあると思うのです。
 つまり、「完璧に」ナジミが出たのを確認してからのアタリで釣ったのか、などという議論もときにはされるわけです。このことは底釣りのグループの人にとってはわりと多い意見です。底釣りとはそのような釣りだと「決めている」わけです。
 ある釣りの会などの規定を見ますと「上バリと下バリのエサが底に着いた状態」という表現で底釣りの大会規定になっています。
 これはなかなか含蓄のある表現だと思うのです。
 私などは、やはり、底釣りというものは上下のハリのエサが底に着いた「瞬間から」始まると考えるわけです。ナジミが完結してからというようには考えていないわけです。
 とはいっても、現実としては出来得る限り「ナジミを出してから」というようにして釣ってはいますが、気持としてはウキの動きを見ていてエサが底に着いた瞬間というものを意識して感じるようにしているわけです。つまり、「ナジミ始める瞬間」が分かるわけです。
 ヘラがエサにアタックする瞬間のひとつはやはり上から落ちてきたエサが着底した瞬間だと思うのです。このときはまだエサが「静止」したとは言い難い瞬間ですからヘラとしてはそれに触発されてアタックするはずなのです。
 ですからそのように考えている私などは比較的に早い段階でのアワセというものが多いわけです。それが良いか悪いか、成功するかしないかは、やはり、「エサの状態」が一番の問題だと思っています。
 やはりヘラの「食べごろのエサ」という状態に着底直後のエサがなっていて欲しいわけです。ですから、ハリに「つけるエサ」とヘラが「食べるエサ」は微妙にタッチが違うものだという認識です。
 それと寄ったヘラの数が多いか少ないか、ミニヘラやクチボソ、ザリガニに対して通常のサイズのヘラの数がどの程度ウキの下に寄っているのか、その度合いによって底に着いたときのエサの状態がどの程度のタッチでいいのかというパズルのようなことがあるわけです。
 もちろんそのようなときのヘラのアタリはジャミと呼ばれる外道の比率によって違うと思っていますので、エサ作りというか、エサの手直しというか、そのようなタッチの変更というものがときおり必要になるのです。
 自己申告と信用というテーマから離れてしまいましたが、いずれにしても、釣果というものの中身についてはいろいろと議論のあることだと思っています。
 そのようなことを思いますと、やはり、釣りと言う「趣味」の原点に立ち返って、私などは私の考えですが、「釣れればよい」「自分が楽しめればよい」という私なりの原点に立ち返って、それで一日を過ごせればいいと思うのです。
2011年5月4日(水)
その87.何かがとり憑く
2011.5.4
 このところ釣果の飛躍があります。
 3月の釣果も4月の釣果も前年同月比大幅アップでした。
 とくに4月についてはすべての釣行で100枚以上でした。
 4月も3回目までは釣り座を替えて釣りをしていましたが、4回目の場所で134枚を釣ってからは、その場所に限定して座るようになり、結果としてデータ集めをすることにしました。
 データ集めをする釣り座は極端な話どの釣り座でもよかったのですが、混み具合とか、他のお客さんの好みの場所などを考慮したり、季節要因を加味して釣り座40番を選定しました。経過を見ますと結果としてこの場所選定は成功したようです。
 3月後半からうすうす感づいてはいたのですが、釣果が高止まり状態だったわけです。
 それが釣り座40番に座ってからは、どうしたわけだかよくわかりませんが一気に釣果が伸びたわけです。このことは@そのような釣れやすい季節になったA技術的に変化があったB釣技が練れてきたC釣り座がよかった等々の条件があったと思うのです。
 いずれにしても190枚、174枚、161枚、158枚、156枚、155枚、143枚、134枚、107枚(これは雷雨のため午後1時上がり)など、これまでの釣果を大きく上回る状況となりました。
 このような状態のことを私は精神的には「空から何かが降りてきて私にとり憑いている」と表現しています。現在進行中なので「いる」と書いたわけです。
 ハゼ釣りの場合でもこのような現象はありました。ジンクスとかスランプとかいうことで、飛躍がなくてもがき苦しんでいたときに、突然、大釣りとか馬鹿釣れとか言われる大漁があり、しかもそれが続くのです。つまり、釣果の高止まりとなるのです。
 今回のヘラの高止まりも、これまでに何回か経験してきたヘラの釣果の高止まり現象のひとつです。ということは、「空から何かが降りてきて私にとり憑いている」という現象も過去に何回かあったわけです。
 私の釣りの目標のひとつは、この「空から何かが降りてきて私にとり憑いている」という感覚を得たいということにあります。精神的にはものすごい「ハイ」の状態です。
 大釣りを体験して精神的に興奮状態にあるときに大事なことは、これは私の過去の経験則なのですが、この大釣りの体験を一過性のもので終わりにしてはいけないということでした。
 ですから、今回の場合も1日の釣果190枚を打ったときに、この状態を持続したいと思ったのです。したがって釣行間隔を空けずに通うことにしました。
 一面では、釣れるときに釣れるだけ目一杯釣ってしまおうという魂胆がありました。このようなやり方が私の釣りで、このようにして釣技を身につけてきたのです。
 空から何かが降りてきて私にとり憑くなどという表現は神がかり的な言葉であるわけですが、現実としては私の釣り方にある種の飛躍があったということです。
 今後いつまでかわかりませんが、ある一定期間、このような感触を「味わわせてもらって」から、次のステップへ進むのだろうと思っています。
 いいことばかり長続きするわけがありませんし、逆に、悪い釣果ばかりが続くということもないからです。
 私のヘラ釣りもハゼ釣りもアップダウンを繰り返しながら、全体として右肩上がりで釣果も技術もアップしていくのだろうと思っています。
 空から何かが降りてきて私にとり憑くという感触を味わうたびに、それまでとは違う水準の高みへ上がったという感じがするのです。
 しかし、それはそれで、その水準での新たな「課題」みたいなものが「見えてきてしまって」、チャレンジし解決しなければならない「深刻な」精神状態に逆戻りするハメになるのです。
 振り返りますと、そのような「悩み」のようなことを抱えて釣りをしているときの方が日数的には多いので、私の釣りはいつもいつも何かを求めてさまよっているような気がしています。
 それが一段落して、私が「心安らかに安心しきって」ヘラ釣りをしているときは、「空から何かが降りてきて私にとり憑いている」と現在進行形で私が感じている「いまだけ」なのかもしれません。
2011年3月7日(月)
その83.サツマイモ
2011.3.7
 いまどきの若い人は、サツマイモを蒸かしてそれをエサにしてヘラを釣った経験はほとんどないと思います。市販されているエサが十分かつ大量にあるからです。
 懐かしく想い出されるのは、生まれ育った行徳の地が、いまの都会になってしまう以前のことでした。私が若衆になったころですから、昭和30年代(1955〜)のことでした。
 見渡す限りの田んぼばかりの水郷地帯の中の所々に大小の池がありました。そこに東京から釣り人が来てヘラを釣っていたのです。もともとヘラという魚が行徳固有の魚ではありませんので、いつの時代かに釣り人の誰かが放流したものだったに違いありません。
 行徳には、マブナ、ナマズ、ライギョ、ウナギ、コイ、ハゼ、イナッコ、クチボソなどはそれこそたくさんいました。農業用水路である川を釣り歩いたのでした。エサはもちろんミミズでした。
 中学を卒業する頃になった時代、通学路の脇に大きな池があって、そこで釣り人が腰掛けてサオを振っているのを見かけるようになりました。大きな池で、両脇が畑になっていて、農道に座って釣っていました。
 2間半以上の長いサオで棒ウキを使っていました。その人たちはシモリ仕掛けではないので何を釣っているのか興味がありました。もともと池は川と一部が繋がっていましたが、池ですので水流はあまりないのです。
 エサを訊くとサツマイモとうどん粉を練ったものだというのです。
 私は家に戻って母親に頼んでサツマイモを蒸かしてもらいました。それをそのまま釣り場へ持っていきました。
 池には先着の東京の釣り師がいて私が入る場所がありません。というのは池には水草が繁茂していてその間を釣っているのです。
 仕方なく私は裸足になって池の中へ入りました。半ズボンの裾が濡れるほどまで入りました。
 サオはその当時としては最新のグラスロッドのサオです。いまではとても使う気になれないヘナヘナの軟調子のサオでした。それが普通だったのでした。ですから、気の利いた釣り人はまだまだ和ザオを使っていた時代です。振り出しのグラスなんてサオじゃないという時代です。カーボンのサオが開発される前の時代です。私はまだ少年でしたから高い和ザオを買うお金がないのでグラスの安いサオで釣りました。
 ウキは「セル」の棒ウキです。これも笑ってしまえるくらいの安物です。ハリは「スレバリ」などは知りませんでしたから、マブナなどを釣っていたハリを使いました。
 サツマイモは割って、細かくバラバラにならないように注意してハリに押しつけて振り込みました。底釣りをした記憶があります。
 アタリはしっかりと出ました。のされて水草の中へ入られたこともありました。サオが軟らか過ぎるからです。
 それがヘラという魚を釣ったのだということを知ったのはずいぶんと大人になってからのことでした。その後はその池で釣りをしませんでした。というのは、畑の所有者が出入り口に海苔網の古いものを張ってしまったので、立ち入りできなくなったのです。多分、不届きな釣り人がいて、農作物を踏んだり盗んだりしたのではないのでしょうか。
 私がヘラと出会うのはそれから30年後のことでした。50歳近くになっていました。そのときは本格的に道具を買い揃えましたが、釣りそのものは「お付き合いの釣り」で、平均釣果は5枚などというベタベタの素人でした。
 それからヘラ釣りの断絶があって、15年が過ぎて65歳になったとき、本格的にヘラ釣りに挑戦することになったのです。
 そのときには、サツマイモを蒸かしてヘラを釣るという時代ははるか昔の思い出話になってしまっていました。釣りメーカーの開発した最新のエサを使っての釣りでした。
 そうであれば、ヘラなどは「釣れないわけがない」ほど簡単な釣りであるはずです。10代のときに池に立ちこんでサオを振って蒸かしたサツマイモを割ってハリに付けて釣った記憶があまりにも鮮明だったからです。
 いつの時代からヘラ釣りがこんなに難しい釣りに「されてしまった」のだろうかと思いました。このような思いというものがひとつの契機としてあって、私のヘラに負けたくないとか、ヘラと勝負するとか、という感情が芽生えたのだと思うのです。
 池に立ちこんでいたときに、サツマイモの尻尾の方の細い部分を千切って食べていたことを思い出すのです。
2011年2月26日(土)
その81.食い上げアタリ
2011.2.26
 「あおたろうさん」から2/25に掲示板にご質問がありましたのでその返信です。
 初心者で両ダンゴの底釣りで「底釣りのアタリ」というものがよくわからないこと、ツンのアタリはわかるが、押さえ込みとか食い上げのアタリというのがどういうものかわからず、見逃しているのでは、という趣旨のご質問でした。
 私の場合は「食い上げアタリ」を得意のアタリのひとつとして多用しています。
 食い上げアタリが出るパターンは別の機会に書くことにして、今回は食い上げアタリというのはどのようにして「見分けたらいいのか」ということを、私の経験による「我流」ですが、書いてみようと思います。
 あおたろうさんは底釣りを練習されていますので、先刻ご承知の事と思いますが、底釣りとは、上バリと下バリが同時に底に着いている状態の釣りです。これは大前提でしょう。
 次にあおたろうさんはどの程度まで意識されているかということですが、それは、ご自分の「いまこの場で使っているエサ」はハリに付けて投入してウキのナジミが出てから何秒でハリから外れてしまうのか、言い換えれば、ウキが何秒で浮き上がってきてエサ落ち目盛りが水面へ出るのか、このことについて明確な判断ができる基準をお持ちかどうかということです。
 具体的には、私の場合は、振り込んでナジミが出てから、1,2,3・・・・などとカウントしています。カウント1がおおよそ1秒程度という前提です。こうしますとウキが戻って来る「時間」がよく分かるのです。これは元エサは同じであっても、練ったり、練らなかったり、水分補給したり、大きく付けたり小さく付けたり、ギュッとハリに押しつけて付けたり、ラフにつけたりと、いろいろなつけ方によってエサが「崩れたり」あるいは「溶けたり」する時間差があるわけです。
 このことを念頭に入れて実釣に臨むのです。これは大前提として心得ておくべきことなのです。
 するとどういうことが起きるかといいますと、いま振り込んだエサ付けの状態では、例えば、カウント40でエサからハリが抜けてトップが戻ってきて、エサ落ち目盛りが出る、ということがわかっているとします。これは1度か2度振り込んでウキの戻り具合を観察していれば、ああそうか、このエサでは40カウントで戻るのだな、と結論できるわけです。
 それがわかっているという前提でウキを「睨んでいる」わけですが、そうしますと、ときには15カウントとか30カウントとかという具合に、本来の40カウントよりも早い時間でウキが戻ってくるという現象にぶつかります。
 これは@食い上げAエサの近くでヘラがパクパクやっていてその水流で斜めになっているハリスやラインが垂直に立ってきている、のどちらかでしょう。
 その判断をしなければならないということです。
 あおたろうさんの場合は、いま私が書いてきたことを考えた事もないということかもしれませんね。
 しかし、そのようなウキの戻り時間の正確なデータを持っていませんと、食い上げアタリそのものを的確に見極めて合わせることができないと思うのです。
 私の場合は周囲の人がよくおっしゃる事は、鈴木さんはあれを食い上げとしてとるなんて信じられないとおっしゃるわけです。そのような微妙なウキの「上がり」具合をあわせているのです。
 もちろん百発百中ではありません。当然のように空振りもあるわけです。それはそれで寄せエサ打ちをしていると割り切っているのです。的中率は50%程度でしょう。それであっても驚異的な確率になっていると思っています。
 ウキが予想時間に満たない時間で戻ってくるということは、ヘラが近くにいてその水流で戻るということもあります。その場合は、見ていますと二目程度戻ってから一瞬静止して「ドン」と入るいいアタリが出ます。これはよく「理想的なアタリ」とされていてみなさん待っているアタリでもあります。
 ところが戻ったのに「ドン」とか「ツン」とか、入るはずなのに入らないで終ってしまう事もけっこうあるのです。これは多分食い上げだったのでしょう。ヘラがハリを吐き出してしまって終わりなのです。それと、上げてきてからツンと入るアタリそのものも、何パーセントの確率になるかわかりませんが、食い上げたのにあわせないでいたから食ったままヘラが動いたのでツンと入ったということもあるのではないかと私は理解しているつもりでいます。
 そのような「妄想」めいた思考をしていますと、どうしても、予定していたカウントよりもかなり早い時点でウキが浮き上がってきますと、それが一目か二目か三目かはケースバイケースですが、そのような現象がありますと、反射的に手が動くような習性が身に着いてしまいました。
 次に、食い上げアタリが出る直前に、チクッと感じるやや小さなアタリがあるという現実があります。これは唐突に出るアタリであって、しかもアタリの大きさがかなり微妙に小さなものですから、結構、見逃してしまうわけです。その直後の事ですが、ウキが浮き上がってくるわけです。この場合はまず間違いなく食い上げですのでこれは100%あわせます。それでいいのです。
 問題はそのような「前触れ」がなくて浮き上がってくる場合が多くあるわけです。このことを心得ていて「待ち構えて」さえいれば、いままで以上に食い上げアタリを釣果に結びつける事ができると思います。
 また、食い上げアタリは「力強さ」ということではしっかりとしています。ググッググッと力強く上がります。あるいは、グーンと持ち上げる事もあります。目盛り数としては一目盛りのこともあり三目盛りのこともあります。
 それから「押さえ込み」ということですが、これもときどきあるのです。
 普通は「ググッ」と例えば一目でも入れば、それもスピードは比較的にゆっくりで早くはなくて、ただ、力強く沈みます。うっかりしていると見逃してしまうような小さな力強い小刻みなアタリです。それが1度だけでなく連続して2回続く事があります。これは二段引きと言われているものだと思いますが、ツンとかドンとか大きく入るものではなくて、ともかく小さく小刻みに入るのです。これを押さえ込みといっていると思っています。
 押さえ込みと似ているものに「チクッ」「モゾッ」があると思いますが、それらの場合の特徴はアタリに「キレ」があるということです。押さえ込みのように「鈍重」ではありません。少なくとも私の場合はそのように認識しているつもりです。
 いずれにしても、どのアタリが頻発するかということは、ライン全体のバランスが影響しますので、自分の釣りではどのアタリをたくさん出して釣りたいのかという「希望」なり「目標」なりを先ずもたれることをお勧めします。
 私の場合は一年中どの季節でも「ドン」と二目ほど力強く入るアタリを出したい、ということを夢見て釣りをしてきて、そのアタリが出た状況をいかに再現するかということで6年間を過ごしてきて今日があります。
 その結果として、一日に100枚以上を釣ったときは、ドンと入るアタリが60〜70%、食い上げが30〜20%、チクッなどが10%という比率だろうと思っています。もちろん日並によっては以上の3種類のアタリ以外の私にとって見れば「ろくでもないアタリ」で「釣れてしまった」ヘラもけっこういるということもあるのですが、こんなときは、たとえ100枚を釣ったとしても、心の中では不完全燃焼のままで納竿するということになってしまうのです。
 贅沢なことだとお笑いになるかもしれませんが、たかがヘラ釣りですが、そこは釣り師の一人として、「釣り方」「ハリの掛け方」などにこだわりというものがあって、自分としてのより理想に近い形の終り方というものを望んでいる自分がいるわけです。
 そのひとつが、希望しているアタリを希望の%で再現する事ができたかという事であるわけです。
 ご質問の食い上げアタリにつきましても、私なりの手法で見分ける算段をして、それが現実としてなかなかにいい確率でヒットしますと、その日はそれだけで100枚釣りが達成できるのではないかという嬉しい気持が湧いてきて、結果としても、食い上げアタリがたくさん取れたときは100枚を達成しているのです。
 あおたろうさんも、とくに、食い上げアタリの見分け方をマスターされれば間違いなく釣果はアップしますので、ご自分なりの見分け方を開拓されれば宜しいかと思います。
2011年2月19日
その80.ウドンエサ
2011.2.19
 私がウドンエサに興味がないということはありません。
 いまのところウドンエサを使用しないのは理由があって、ウドンエサを使うときは少なくとも2年とか3年とかのシーズンを春夏秋冬一貫して「使いつづける」ということになるからです。それが私の「エサ使い」の方法だからです。
 ですから、チョコッチョコッと使って止めるという対応は絶対にしたくないと思っているのです。
 ウドンエサでの釣り方を拝見していますと大別して二通りの釣り方があるようです。
 ひとつはウキのナジミが出てからただひたすらじっと待って、ウキのモドリまでのアタリは見逃してモドリを確認してからのアタリをとるというものです。私が行きつけの水光園で知る範囲ではこの方法の人が多いようです。他の釣り堀の事は知りません。
 もうひとつは積極的に誘いをかけるというものです。
 どちらの方法が釣果がよいかはその人の技量によって違いがあると思いますが、それはその釣り人の「好み」の問題であって、どちらがいいとかの評価はできないと思っています。
 ただひとついえることは前者の釣り方をしている方の中にはウドンの釣りというのはこうするものだという「常識」めいたものがあるようです。
 私がウドンの釣りをするときは後者の釣り方、つまり、積極的に誘いをかける釣り方を採用するでしょう。
 その場合のアタリの「大きさ」というものは「ドン」と二目ほど目盛りが入るアタリを夢想して臨むでしょう。これは真冬の厳寒期でも実現可能な夢だと思っています。
 このように書いて来ますとお気づきのように、例え何回もの誘いをかけても「崩れない」エサが必要です。これはウドンエサにピッタリの釣り方と言えるでしょう。
 もちろん誘いをかけてもかけなくても一定の時間がたちますとウドンにまぶした寄せエサ(まぶし粉といっているもの)がはがれ落ちて「素ウドン」の状態になります。まぶし粉がついていないウドンエサというものは「集魚力」は落ちると思いますので、この段階では誘いを併用した方がいいわけです。
 私にいわせれば、ウドンエサも力玉も感嘆(即席ウドン)なども、そのもの本体としては集魚力が弱いエサだと思っているのです。実際にそうでしょう。そのためにまぶし粉などをつけて釣るわけですから。
 こう考えますと、私に言わせればウドン、力玉、感嘆などのエサは一種の「疑似餌」に近いものであって、ヘラを「だまして」吸い込ませるという釣りになるのだろうと思うのです。この発想というものは実際に当たらずとも遠からずで、間違ってはいないのだろうと思っています。
 であるからこそ、私のウドンエサでの釣りは積極的な誘いの釣りとなるわけです。動くエサにはヘラもよく反応するからです。
 このことを考える前提があって、いまは真冬の釣りをダンゴエサオンリーで挑戦していますが、それ以前の真冬は@ダンゴエサA力玉B感嘆などの即席ウドンのセットなどの釣りをしていました。
 それというのは、最終的にダンゴエサでの真冬の釣りをするにあたって、春夏秋のシーズンのダンゴエサの釣りをある程度の技量にしておくために力を尽していましたので、真冬については前記のエサで試していたわけです。つまり、真冬以外の釣りで思うように釣れるようになったら真冬のダンゴエサ釣りにアタックしようという思いがあったのでした。
 そんなわけで、前記のセットの釣りあるいは両力玉、両感嘆の釣りというものはそれなりに工夫して釣りをしていました。ただし、徹底してそれに挑むという釣りではありませんでしたし、両ダンゴに移行する「繋ぎ」の釣りというイメージが強かったのでした。
 そんなときでも、ダンゴエサほどの集魚力はないものと考えて積極的な誘い、エサ切りは行ってきました。そこそこに釣っていたと思っています。ただ、ヘラ釣りに対する経験とか、知識とか、技量とかは、現在とは比較にならないほどに低い水準だったと思っていますので、そのことを加味しますと、その時点としてはまずまずの好釣果と評価してもよいと思うのです。
 私がいまでも「未練」に思っているのは「感嘆」などの即席ウドンをポンプに入れて、それを左手の指に「ヒョッ」とつけて、それにまぶし粉なり粒戦なりをグッと押しつけて、パッと振り込んでナジミが出てから積極的に誘って釣るという釣りをもっともっと極めればよかったと思っています。この両感嘆という釣りが意外と効果があったからでした。
 このことは、真冬の釣りにあたっての条件として、サオの長短、釣り座の良し悪しが大きく影響するという現実があって、この点での水光園での資料集めがまだ不足しているという事があります。
 私の場合はサオは10尺限定で釣っていますので、真冬の季節では「ヘラの寄り」という点では釣り座によって魚影の濃淡があるように思えています。しかしこれも、私の技量不足ということも実際には影響しているものと思いますので、2009年の冬、2010年の冬、2011年の冬と比べてみても、一律に数字なりを比べて釣り座等の良し悪しの判定を即断できない現実もあると思っています。
 この点では春夏秋の季節の方が、全般的にどの釣り座に座っても100枚以上をコンスタントに釣ることができたという事実からすれば、真冬の季節のような厳しさというものは薄いものと思うのです。
 そのような条件の違いがあるとしても、当面は、ダンゴエサで真冬の釣りをやり遂げてみて、その推移を判断したいと今は思っています。
 ウドンエサ系統の釣りに私が本格的に挑戦していくのはまだまだ何年か先のことになるのだろうと思っています。
2011年2月15日(火)
その79.ウドンエサのようなダンゴエサ
2011.2.15
 このところの私の日誌に「ウドンエサのようなダンゴエサ」という言葉が出てきます。
 これは私の「造語」なのですが、どのような目的があってそのようなエサを作るのでしょうか。
 ここ2年ほどは真冬でもダンゴエサオンリーで釣り続けるようにしてきました。そうしますとどうしても暖かい季節のようなバラケ方では釣果が上がりません。どうしてもバラケの遅いエサを作る必要があったのです。
 とはいっても、バラケが遅すぎますとヘラの寄りが遅いという事があるわけです。そのときは私の場合は元エサのままで少しラフにエサつけをして何回か投入しますとヘラの寄りが確認できるわけです。あとはエサ打ちの調整だけで釣れます。
 冬場はどうしてもアタリ待ちの時間が長いわけですが、バラケを遅くしようとすると、エサを硬く締めたり練ったりと比較的に長く崩れないエサを作るようになってしまいました。
 そこで私はウドンエサの釣りのようにエサ落ちまでに3〜4回は誘いができるエサを作ろうとしました。
 ウドンエサと同じダンゴエサはできないわけですが、「ウドンエサのように誘いができるエサ」をイメージして作ろうと思ったのです。
 このような思いつきが私の真冬のエサ作りの原点になったわけです。
 そこで@ダンゴの冬100ccA綿グル20ccB水130cc(20秒以内にマッハを混ぜる)Cバラケマッハ100ccというブレンドで元エサを作ります。こうしますとしっとりとしたエサができます。
 それを小分けして小さく丸めてハリに押しつけてしっかりと付けます。これが寄せエサ打ちのエサになります。元エサの出来上がりはどれほど上手く作っても毎回同じようには仕上がりません。これは私の限界と言ってしまえばそれまでですが、大半の方が多分そうなのではないでしょうか。
 ですから、元エサで寄せエサ打ちをはじめてそのエサで釣れてしまうようであればペースが乱れるまで元エサのままで釣ってしまうようにしています。
 もしも、ウキの戻りが早くなってしまったとか、アタリの頻度が少なくなってしまったとかのときは、誘いをかける釣り方に換えるのです。
 そのときは小分けした元エサを20〜30回「徹底的に」練ります。その練ったエサを半分だけ分けてそれに手水で水分補給をして更にそれを20回ほど練ります。こうしますとペチャペチャベトベトのダンゴエサができます。これを表面がツルンとするようにごくわずかの手水で手の中でころがしますといい感じの「アンコ玉」あるいは「搗きたてのモチ」のようなエサが出来上がります。
 これはエサ持ちがいいですから、ナジミがでてから20カウント待って食いアタリがなかったら積極的に誘いをかけます。1〜2回の誘いでは崩れません。そのうちに「ドン」と入る食いアタリがでます。もし、3回ほど誘っても食いアタリがないときはエサ落ちが出てしまっていても20カウントほど待ってみます。するとチクッと入りますので、これは下バリで釣れてきます。
 このような釣りは本来はウドンの釣りだと思うのです。
 いままでの暖かい季節に使うようなダンゴなどですとどうしても誘いの回数が少ないですし、それは場合によってはエサが硬かったり大きかったりしますし、それとエサ落ちまで待つときはどうしてもエサが崩れてきますので誘いがかけにくいという事があったのです。また、ウキが戻ってきますと誘うのが躊躇される事がありました。ハリが抜けてしまうのではないのかという心配があったからです。
 そのような意味では私の作る「ウドンエサのようなダンゴエサ」は見事にウドン釣りのような誘いが実現できているわけです。
 欠点はやはりバラケが遅いのでヘラの寄りが遅い事です。また周辺に宙や段底の人がいますとヘラが寄るまで辛抱がいるのです。その点は元エサのままで寄せエサ打ちするとかの対処法がありますのでそれでいままでのところはいい釣りができています。
 またバラケが遅いといっても本来はダンゴエサですのでエサ打ちを続けていれば底に残ったエサが寄せエサになってくれるわけです。要するにヘラが寄るだけのエサ打ちの量が打てたのかという事になると思っています。
 知り合いの84歳の常連さんは私の先ほどのブレンドのダンゴエサではヘラが釣れないとおっしゃいます。これはヘラが寄らないという意味の言葉でもあるわけです。
 このことはエサ打ちの量と「釣り方」に問題があるのであって、エサそのもののせいではないと私は思っているわけです。
 本日ここに書いたブレンドでは、水温が4.5℃〜7℃程度までの低水温の場合での元エサの手直しの仕方が大事だと申し上げているわけです。
 では水温が例えば10℃近くになったとかの時はどういう展開になるかといいますと、これはもう元エサのままでガンガン釣れる、ということになります。戻りが早いなどと言っている間にウキがドンと入ってしまうわけです。ですからウドンエサのようなダンゴエサにしなくてもヘラの活性の高さが補ってくれるわけです。それでも少しはエサ持ちを良くしたいというときの手直しは小分けした元エサを30回程度しっかりと練って、手水の補給は控えて釣ればいいのです。
 また、水温が10℃ほどになりますとウドンエサのようなダンゴエサのままでとくに寄せエサを打たなくてもアタリが活発に出るようになります。誘いの回数もかなり少なくなるのです。
 このように私の名付けた「ウドンエサのようなダンゴエサ」はいろいろと使い道があって重宝しているわけです。極端な話ですが真夏でも使い道があると申し上げておきます。